大切な言葉は、いつも自分の中にある『あなたは「言葉」でできている』


 「名は体を表す」ではないけれど、「言葉遣いは人格を表す」と思っている*1

 言葉遣い=人格という、イコール関係にあるとまでは言いません。けれど、ある人が日常的に話す言葉、あるいはSNSなどで好んで使う表現は、その人の性格や価値観とそれなりに関係があるのではないかと思う。言葉遣いを見聞きすれば、その「人となり」がなんとなくわかる程度には。

 どのような相手に対して敬語を使うか。他人を褒めるときや批判するとき、どういった表現を用いるか。難解な表現で煙に巻こうとしていないか。意味の曖昧なマジックワードを多用していないか。流行語やスラングを好んで使っているか──。

 もっとわかりやすいところで言えば、口に出して感謝や謝罪をしているかどうか。ちょっとしたことにも「ありがとう」とお礼を言ったり、自分の非を認めて素直に「ごめんなさい」と謝ったり。些細なことではあるけれど、それを口にするかどうかで周りの心証が変わる、大切な一言だと言えるのではないかしら。

 

 

 今回読んだのは、そんな「言葉」の大切さについて取り上げた本。ひきたよしあき著『あなたは「言葉」でできている』。タイトルに惹かれてポチったのですが、想像以上に興味深く読めました。

 本書が紐解くのは、誰もが持っている「言葉の木」の育て方。日本語特有の曖昧さの説明に始まり、相手に興味を抱かせる言葉遣いや、文章の見せ方と作り方、そして相手に伝わる表現を身につける方法を紹介しています。以下、ざっくりと感想をまとめました。

 

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最近は「言葉」や「文章」が軽視されがち?

 「言葉は大切だ」と声高に叫ばれる一方で、「言葉」や「文章」の存在感が薄まりつつあるようにも感じる近頃。

 LINEやTwitterをはじめ、文字を使ったコミュニケーションは短文が中心だし、話題になるのは画像や動画ばかり。YouTuberやInstagramerが人気を集める傍らで、ライターやエッセイストの影は薄くなる一方。短時間で直感的に楽しめるコンテンツが隆盛を誇っている今、じっくりと味わうタイプの読み物は忌避されている印象すらある。でも実際問題として、「スマホの狭い画面では長文を読む気にならない」というのはよくわかる。僕自身、ブログやニュースはいつもパソコンで読んでいるので。

 スマホファーストのコンテンツ制作がメインになったためか、はたまた長文記事全般が避けられるようになったためか。複数の要因があるとは思うものの、いずれにせよ、そのような “短時間&直感的” なコンテンツが主流となった現状に追従するように、最近はネット上の文章も簡略化が進んでいる印象がある。

 記事の冒頭で結論をドカンと書いてしまい、本文は最小限に。ニュースサイトにせよ個人のブログにせよ、今は「文章は読まれない」ことを前提とした記事構成が当たり前。見出しだけで内容がわかるようにしたり、「ざっくり言うと」で要点を羅列したり*2と、あの手この手でコンパクトにまとめようとしている。

 結果、たしかに端的でわかりやすい記事が増えたとは思う。けれど、それが読者に “伝わっている” かどうかはまた別問題なのではないだろうか。本書の言葉を借りるなら、「早く伝わるが、深く伝わらない」。結論を先に出すことで話が尻すぼみになってしまい、印象に残らない記事が増えているようにも見えるのだ。

 

日本人は面倒くさい言いまわしが大好き?

 「うまい、やすい、はやい」ではないけれど、「短い、易しい、早い」文章が主流になっている現在。ところが、本書によれば「日本人はもともと面倒くさい言いまわしを好んで使っていた」のだそうだ。

 その代表例が、手紙だ。

 便箋やレターセットを使った手紙を書く際には、改まった場面でも親しい相手でも、季節の情景を添えた「時候の挨拶」から書き始めるのが習わしだった。若葉の緑が目にしみる季節──。菊花薫る今日この頃──。三寒四温の時節──。

 このような時候の挨拶には、手紙の送り手と受け手の「心を揃える」効果があるのだという。2人が共通して感じられる自然の変化や生活の営みを描写することで、本文に入る前に心を整える格好。あるいは、せっかく手間暇かけて手紙を書くのに、「最低限の用件だけを書いて終わり」では味気ないから……という考えもあったのかもしれない。

 今でこそ手紙を出す機会は減ったものの、季節感が垣間見える文章を読んで、「風情を感じられて心地良い」と感じる人もいるはず。しかし、文字でのやり取りをリアルタイムでできるようになった現代で、いちいち「行く春を惜しむ間もなく──」などと添えるのは面倒極まりない。

 ビジネスメールなどでは挨拶を添えることもあるが、そちらはお決まりの「定型文」として簡略化・定型化されており、コピペでもまったく問題はない。それどころか、そうやって「お決まりの挨拶はコピペでいいや」という感覚がすっかり染みついてしまったがために、たまに書く手紙でもテンプレートを使ってしまっていてもおかしくないように思う。「手紙 5月 挨拶」で検索検索ゥ!

 

日本語はゆるくていい加減?

 しかし他方では、そのような決まりきった「挨拶」を添えることについて、複雑な思いを抱いている人もいるのではないかしら。

 書き手の気持ちが感じられない、ビジネスメールの定型文。けれど、崩して書けば「社会人としておかしい」と指摘される理不尽さ。思考停止的に使えるのはたしかに楽ではあるものの、何と言うか、「言葉」が不自由で息苦しい。時候の挨拶も一種のテンプレートではあるものの、季節ごとに考えて書き換える余地があるぶん、まだ自由であるように感じられる。ギチギチに固められた表現ばかり使い続けるのは、正直に言ってダルい。というか日本語って、こんなに不自由なものだったっけ……?

 そう、言葉とは本来、自由なものだ。その中でも特に日本語は、驚くほどに「自由過ぎる」言語であると、筆者は説明している。「型」を重視するビジネスシーンに浸っているとまったくそうは思えないが、元来の日本語はびっくりするほど適当だし、決まり事のゆるい、いい加減な言語なのだそうだ。

 最低限の文法はあるにしても、文の並びを適当に入れ替えてもまったく問題がない。西洋と比べて、一人称や二人称が豊富過ぎるという特徴もある。しかも英語とは異なり、主語を省略しても違和感がない。それどころか、主語を省略することで、文章に深みを持たせることすらできるのだ。

 日本語は、主語によって動詞が変化することはありません。主語の存在価値が非常に薄く、影響力も低いのです。

「山路を登りながら、こう考えた」(夏目漱石『草枕』)
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」(川端康成『雪国』)
「おい、地獄さ 行 ぐんだで!」(小林多喜二『蟹工船』)
「恥の多い生涯を送って来ました」(太宰治『人間失格』)

 いずれ劣らぬ日本文学の冒頭ですが、 どれも主語がありません。 発言者は誰なのか、どのくらいの人数がいるのか。そういう部分を一切カットすることで文章にふくらみを出しています。

(ひきたよしあき著『あなたは「言葉」でできている』Kindle版 位置No.247)

 筆者曰く、「日本語は非常に自由度が高く、法則性よりもそのときの気分や相手との関係性に重きをおいた言葉」である。手紙や公式文書に “お約束” の書き方はあっても、基本的には「正しい書き方がひとつではない」というゆるさ、いい加減さが、日本語の特徴なのだそうだ。

 正解がないということは、「個性を発揮しやすい」と考えることもできる。言葉選びひとつ取っても個性が出るため、自己表現が容易にできるというわけだ。しかし同時にそれは、「巧拙の差が明らかになりやすい」とも言い換えられる。順番を少し並べ替えただけで名文が駄文になり、駄作が名作になる。そんなことが普通に起こり得るからこそ、言葉選びは慎重に行わなければならない。

 そして自由であるがために、その一瞬の感情が、良くも悪くもストレートに出てしまうという側面もある。相手を説得する場面で、「あなたの考えには共感できます。ですがこの場面ではこういう見方もできるのでは?」と冷静に説き伏せるか、「それはおかしいでしょう! 私はこうするべきだと思います!」と自身の主張を押し付けるか、「ふざけんな! だから俺はお前が嫌いなんだ!」と感情的に人格否定に走るか。

 ここまで極端でなくても、その時の感情や相手との関係性によって、少なからず言葉尻は変化するはず。「私はあなたに反対です」「承服いたしかねます」「俺は反対だ!」「お前はおかしい!」「異議あり!」「それは違うよ!」「このハゲーッ!」などと。声色やジェスチャーが読み取れなくても、言葉選びや字面から喜怒哀楽の感情が伝わってしまうのだ。

 だからこそ、言葉遣いは大切。一生涯にわたって付き合うことになるのだから、どうせなら上手に言葉を使えるようになりたい。

 さあ、一般的なビジネス書であれば、ここで「語彙力を鍛えよう!」といった方向で論じていくところではある……のだけれど。本書の切り口は、少し独特のものだった。

 もちろん、本文では語彙力の大切さに触れているし、使うべきではない表現や、文章法についても個別に言及している。しかし一方で、本書では「新しく言葉を学ぶ」こと以上に、「自分の過去を言語化する」ことを重要視している節がある。大切なのは付け焼き刃の語彙力ではなく、独自の体験や思想から紡がれる、自分だけの言葉なのだ。

 そこで登場するのが、1冊のノート。その人の「言葉の木」を構成する枝葉であり、自身の人となりを相手に伝えられる独自の表現──「自分語」の見つけ方を、本書ではノートを切り口に解説していく。

 

「エピソードノート」によって、自分を形づくる言葉を見つける

 「エピソードノート」と呼ばれるこのノートは、自身が過去に体験した出来事や感じたことを列挙し、まとめたもの。就職活動で取り組む「自己分析ノート」のバリエーションと言えるかもしれない。筆者自身も就活をきっかけにこのノートを書くようになり、その後もしばしば取り組んでいるそうなので。

 ただ、就活のように自己分析をするだけならば、それが語彙力や表現力につながるとは思えない。ではどうするのかと言えば、その名のとおり「エピソード」の扱い方がポイントになる。

 まずはノートを開き、1年ごとに当時の出来事と、自分の思い出・エピソードを書き連ねてみる。そのうえで、書かれたエピソードの中から自分の人となりが伝わるようなものを厳選。当時の情景を言語化して描き出しながら、その出来事が自分にどのような影響を与えたのかを考えてみる。それも、就活で人事の反応を考慮しながら書くのではなく、自由気ままに、言葉を尽くして。

 自分の経験を元にして、体の内側から湧き出る言葉によって紡がれたそれは、その人にしか書けないオリジナルの文章だ。ノートに書かれているのは、過去の自分から発掘した原点を、現在の自分の語彙によって言語化した等身大の「自分自身」。外部から新たに取り入れたものではなく、自身の内部から拾い上げたものだからこそ、ノートに書かれたそれは、紛れもなくその人自身の「言葉」だと言えるだろう。

 そしてそれは、自身の語彙を再確認できるだけでなく、記憶に残る大切な “言の葉” を思い出し、さらには、自分の「人となり」を他人に伝える際にも役立てられる。

 過去を振り返れば、誰にだって「自分らしい」エピソードのひとつやふたつはあるはずだ。今も昔も変わらない自分のキャラクターが伝わる思い出や、現在の自分を形づくるきっかけになった象徴的なエピソード。それを文章としてまとめておくことで、業績や肩書きからはわからない「自分」の個性を、初対面の相手にも効果的に伝えることができる。

 「これまで」を振り返りながら整理し、ノートに書かれた内容から、「いまここ」にいる自身を形づくる言葉を見出したうえで、「これから」に思いを馳せる。己の指針ともなり得るエピソードノートは、折に触れては読み返し、また追記していくことで、継続的に効果を発揮するツールになるように思えた。

 

多角的に「言葉」を考えるきっかけとなる1冊

 ──とまあ、ここまでの内容を、「自己分析をして自分を魅力的に伝えよう!」などと無理に一言でまとめてしまえば、それこそ就活生向けの本だと感じられるかもしれない。

 実際、本書では「エピソードノートの活用法」として、まとめた内容をよりわかりやすく会話の場面で伝える方法や、魅力的な文章としてまとめ上げるための見せ方を続けて説明している。たしかにそういう意味では、本書は就活生におすすめの参考書だと言えそうだ。

 しかし他方では、サブタイトルにもあるとおり、本書は「 “自己表現” のヒント」が詰まった1冊でもある。エピソードノートを通じて「自分語」を見つけ、自身の「言葉の木」を再検討し、相手に伝わるように書く・話すためのテクニックをまとめたハウツー本。

 そういった観点で見れば、自己紹介の機会が多いだろう新社会人や、大勢の人と会う営業職やフリーランス、そして創作活動を通して “自己表現” に励んでいるクリエイターなどにも勧められる1冊だと言える。ブロガー的には、魅力的な紹介文やエッセイ色の強い文章を書く参考になるんじゃないかしら。

 あまりにも当たり前過ぎるから、日常的に使っているからこそ、省みる機会が少ない、自分自身を形づくる “言の葉” の数々。

 日本語の話があり、話し方の解説があり、文章術の説明があり、自己分析の考え方もあり──と、全体的にとっ散らかった印象も受ける本でしたが、それゆえに、複数の視点からあれこれと「言葉」を考えるきっかけにもなりました。

 現在、Kindle版が82%OFFとべらぼうに安くなっているので、よかったら読んでみてくださいな。

 

 

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