ぐるりみち。

平成生まれのフリーライターのブログ。本・映画・マンガ・アニメの各種レビューに、旅行・グルメ・街歩き日記など。

お題「私がブログを書きたくなるとき」

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お題「私がブログを書きたくなるとき」

 

 もともとは簡易的な「日記」として始めたブログだった。

 時には会社に対する鬱憤を書き連ね、時には読んだ本の感想をまとめるための場所。あくまで自分のための「記録」の場所であり、よく言われる「読者目線で書こう!」的な考えはほとんどなかったように思う。……というかそもそも最初は、 “読者” さんなんていなかったぜ! HAHAHA!

 ところが、やがてひとり、またひとりと読者登録してくれる人が増えると、読者の目を意識して、そこに「何を書くか」も考えるようになる。大勢に読んでもらうにはどうするか、誰かの役に立つ記事とはどのようなものか――そんなことに思いを巡らせ、いろいろと試すようになった。

 受け狙いをしたり、バズらせようとしたり。しばらくはあれこれと試行錯誤してみるものの……でも結局、長くは続かない。別に、他人の目を意識して書くのが面倒なわけではありません。ただ、そればかりを続けていると……なんとなく、疲れてくるんですよね。

 目を引くタイトル付けとか、検索エンジンを意識してキーワードを盛りこむとか、文章は改行多めで簡潔明瞭にするだとか。そのうえで記事のターゲット層まで考慮するようになると、読まれる記事を「書く」というよりは、「つくる」ような感覚を覚えるようになってくる。

 それはそれで、ゲームを攻略しているみたいでおもしろくはあります。けれど、しばらく続けていると、小さな違和感が生じてくる。――あれ? 僕がいま書いているのは、仕事用の原稿だっけ? 自分のブログじゃね? なのにどうして、そうまでして “読まれよう” としているの?

 対価を受け取り執筆する、ウェブメディアに掲載される記事ならばいざ知らず、自分のブログにまで、「原稿」の文体を持ちこむ必要はないんじゃなかろうか……と。

 もちろん、その手の原稿だって書くのは好きだし、仕事ともなれば全力で取り組みますとも。それに、より多くの人に伝わる記事を書くためには、常日頃から読者の存在を意識した文章を書き続ける必要だってあると思う。スポーツだって文章だって、トレーニングは大切だ。

 でもだからと言って、今なお「趣味」であるブログの場で、毎度のように記事を「つくる」必要もないとも思うんですよね。だってもともと、始まりが「日記」だったのだから。別にアフィリエイトサイトというわけでもなし、もっと自由気ままに書いていいんじゃないかしら。

 まあ実際問題として、営業じみた記事を書くことも普通にあるのですが。もともと文章力が秀でているわけでもなく、自由に書きすぎていても仕事が来なくなりそうなので。「こういうのも書けるよ!(チラッ」と言わんばかりの記事を書き書き、筋力をつけるのも大切。めざせ、いんなーまっする。

 

 ――で、そんな自分が「ブログを書きたくなるとき」はどんな場合だろう、と考えてみる。これは自分のなかでもはっきりしていて、一口に言えば、「何かをきっかけに大きく感情を動かされたとき」かと。……うん、この表現が一番しっくりくる。たぶん。

 街を歩いていて気になるものが目に入ったとか、ふらっと入ったお店で食べた料理がうまかったとか、読んだ本がおもしろかったとか、アニメの今後の展開に胸を躍らせたときとか。

 「すげえ!」「おいしい!」「おもしれえ!」「たーのしー!」といった正の感情が高まる出来事があると、ブログに書かずにはいられない。――というか、思い返してみればブログを始める前、mixiやモバゲーで日記を書いているときからそうだった。何かあったら、とりあえず言葉にして吐き出さずにはいられないのです。

 これがほかの人だったら、「今日はこういうことがあったんだよ!」と家族や友人に話す場面なのかもしれない。だけど、自分の場合はそうはならなかった……もとい、そうはできなかった。……もとより友達が少ないぼっち気質ですし。ついでに口下手ですしおすし。

 そう、基本的に口下手、かつ自分が話すよりは人の話を聴くほうが好きなので、「口に出す」ことによるアウトプットは苦手なのです(事前に準備すればともかく)。それよりは「文字にして書く」ほうが自分の考えをまとめやすいから、自然とネットに入り浸るようになったのだった。

 

 それゆえに、「ブログ」という存在に行き着くのは必然だったのかもしれない。

 

 というか、そうしてブログに書いて吐き出しでもしないと、感情を爆発させる場所がなくて困っちんぐ。それこそ、ほかの人のように「アレがすごかった!」と誰かに話してすっきりすることが難しいため、自然とブログが “話し相手” になるのです。

 \( 'ω')/ウオオオオオアアアーーーーッ!!! と興奮し、自分でもよくわからなくなっている感情の昂ぶり。それをひとつひとつ脳内から抽出することで言語化し、意味のある言葉となった感情を組み合わせ、文章としてブログに書き連ねていくと――あら不思議。

 気づけば、ひとつの感想記事ができているではありませんか!

 ――というのが、ブログを始めた1、2年目くらいまでのノリだった気がする。そこに読んでくれる他人の存在は(数少)なく、ただただ壁打ちをしているようなイメージ。いつかそれを読み返すであろう未来の自分が想定読者であり、胸中にあるのは「書きたい」の欲求だけだった。

 ところがどっこい。そうして「書きたい」の感情の赴くままに文章を書き連ね、次第にコメントなどで反応をもらえるようになってくると、また別の欲求もわきあがってくるんですよね。欲張りってやーねー。

 あふれる「書きたい」の感情を言葉にして、吐き出しきったら、次はそれを他人に「伝えたい」と思うようになる。結果、さっきから書いているような “読者目線” を意識するようになり――と、記事冒頭にループするわけです。わぁい!

 

 「書きたい」だけを重視すれば、いつまでも自己完結的に楽しむことができる。でも一方で、せっかくこうして、たくさんの人が見ている(かもしれない)ネット空間で書き散らしているのだから、少しでも誰かに「伝わる」文章が書けたらいいな、とも思う。

 この「書きたい」と「伝えたい」の狭間で、いっつもふらふらしている感じ。

 そのあたりはうまいことバランスを取るのが理想なのかなーと思いつつも、最近はどちらかと言えば「書きたい」のほうに重きを置くようにしています。結局は自分の好き勝手に書いていれば安定して楽しめるわけだし、「伝える」ことにも限界があるのは目に見えている。

 なぜなら、どれだけわかりやすい文章を書こうが、絶対に伝わらない相手はいるから。特に「タイトルだけを読んで(本文は読まずに)コメントしている」なんて人もいる以上、わかりやすさを前面に押し出したところで意味がない。なんたって、それ以前に「読んでいない」のだから。

 同時に、しっかり内容を読んでくれている相手にも伝わらないことはある。それは自分の文章の拙さにもよるけれど、お互いに「知らない」相手なんだから仕方がないケースもあるとも思う。双方が前提として持っている語彙や価値観が異なれば、読み違えることがあるのは当然だ。

 それが人対人のコミュニケーションである以上、どうしたって誤読・誤解は発生するものだし、他人の受け取り方をコントロールすることは不可能。それならば最初から、読者目線の意識は最低限に、好きなように書いたほうが楽しいんじゃないかと、最近は思うようになりました。

 加えて、多くの人に読まれやすいと言われる記事――簡潔明瞭でわかりやすい文章は、良くも悪くも「形式的になりすぎる」という問題もある。同様に、検索流入のためにSEOうんぬんを考慮した記事も、どこか似たり寄ったりになりがちな印象があります*1

 ついでに言うと、そもそも「大多数の人に等しく伝わる文章」って、自分がブログに書くまでもなく、すでにもっとわかりやすく書かれている場合がほとんどだとも思うんですよね。

 たとえば、アニメや映画の感想記事。自分の言葉で考察をまとめたり、昂ぶりすぎた感情を抑えきれず叫びまくったりしているブログがある一方で、「ネタバレあらすじまとめ」みたいなタイトルの記事もよく目に入る。後者は主に検索上位に表示され、どれも似通った内容であることが多い。

 もちろん、クリックして読んでみたら「すっげー考察がまとまってておもしろい!」なんてこともあるのだけれど、「公式サイトの情報を切り貼りした内容が記事全体の8割」という場合もしばしば。そんな記事を見るたびに、「それなら、公式サイトのリンクを貼っておけばいいのでは……?」と思っちゃうんですよね*2

 とはいえ、そういった「型」の有用性も無視はできない。文章作法はもちろん、SEOもある程度は意識して書かなければ読者の目に触れることすらなく、読まれたとしても内容が伝わりづらい――という見方もあります。そのあたりのバランスはブログの運営方針によりけりなので、うまく調整していくしかないのかなーと。思考停止的にSEOのテンプレートを受け入れるのではなく、自分なりに最適な記事構成を探してみる感じ。

 でもまあ、趣味で書いている個人ブログであるのなら、そこはあまり意識しなくても良さそう。変に作りこまなくても見つけてくれる人はいるし、伝わる人には勝手に “伝わっている” 気もするので。無理に大勢に伝えようとする必要はなく、自然と “伝わった” 相手が読者になってくれる感じ。

 なので、まずは何よりも、自分の「書きたい」を起点としてブログを楽しむこと。そのうえで、もっと多くの人に読まれたいとか、ブログによって活動の幅を広げたいという場合に、少しずつ「伝える」ことを意識した方向へシフトしていくのが良いんじゃないかしら。最初から大きな目標を掲げるよりは純粋にブログを楽しめそうだし、長続きするんじゃないかと思う。

 

 ……とまあ、話があっちゃこっちゃに飛びましたが、しばらくぶりの「ブログ論」的な話題として、お題に便乗しつつ好き勝手に書いてみました。最初に「書きたい」があり、続けているうちに「伝えたい」の欲求が現れ、今はそのあいだを行ったり来たりしながらブログに接している格好。

 今後もしこしこと「書きたい」本位で自由に書きつつも、お仕事のほうで「伝える」ための筋肉を鍛えるべく、このブログを積み上げていこうと思う次第です。多くの人に伝わるような書き方を学びつつ、自分が伝えたい層だけに自然と伝わる文章が書けたらいいな、と。ほどほどにがんばるぞい。

 

「書きたい」本位で書いたっぽい記事の例

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*1:たまたま、一部でそういった文体(手法)が流行っているだけのような気もしますが。

*2:※そのブログがアニメ系の情報サイトとして運営している場合は除く。