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ぐるりみち。

日々日々、めぐって、遠まわり。

カトリック関口教会のオルガンメディテーションに参加してきた

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 「5年前」を我が身で経験した人なら、思い思いの1日を過ごされていたであろう今日、3月11日。今日も今日とて、パソコンに向かってカタカタと作業をするつもりでいたところ、母親から「教会に行ってみない?」とお誘いの声がかかった。……はて? 教会?

 宗教にはとんと縁がない我が家だけれど、芸術・文化面では造詣がある、うちの母と妹。どうやら、教会の催し物が書かれたチラシをどこかでもらったらしく、良い機会だから行ってみるべさ? ――という話らしい。妹氏も乗り気の様子である。

 
 それがこちら、カトリック関口教会で毎月開催されている、「オルガンメディテーション」。入場無料で、大聖堂にてパイプオルガンの演奏が聴けるそうな。また、“メディテーション”が示すとおり、音楽の中で祈りを捧げながら「瞑想」をする集まりでもあります。

 「瞑想」と聞いて脳裏に浮かぶのは、たまの土曜日に参加していた、高野山東京別院の阿字観実習。残念ながら継続はできていないものの、参加した日はどことなく身体も気持ちも身軽になれるんですよね。なので瞑想という行為に偏見はなく、むしろ好きまである。

 あちらは仏教(高野山真言宗)、こちらはキリスト教(カトリック)という違いはあれど、今日という日に「瞑想」をする催しに参加してみるのはいいかもしれない。――というわけで、気楽なノリのまま、カトリック関口教会のオルガンメディテーションに参加してきました。

 

 

「東京カテドラル聖マリア大聖堂」

 最初に話を聞いたときには、「せきぐちきょーかい?」などと首を傾げていたのですが、「十字架状の構造を持った建造物」と言われて、ピンときた。

 時に優れた建築様式として、時に魅力あるパワースポットとして、よくメディアでも紹介されている、あの聖堂。教会としては、カトリック関口教会。その施設の主たる建築物である大聖堂としては、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」の名前で説明されております。

 

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 この建物を設計したのは、“世界のタンゲ”と名高い、丹下健三氏。同氏が携わった建築物として、東京都庁舎、代々木第一体育館、広島平和記念公園などは訪れたことがあったものの、こちらに足を運ぶのは初めてでした。

 夜19:00の開始ということもあって、大聖堂の全貌は判然としなかったものの、想像以上に大きくてびっくり。聖堂は地上39.4m。そのすぐ近くにそびえ立つ鐘楼は、なんと61.7mにも達するとか。デカすぎィ!

 

荘厳さを感じる中でも、どこか居心地の良い空間

 中はどうだろう……と入ってみると、まず天井の高さに圧倒された。球場やアリーナの類と比べれば小さな空間ではあるものの、そこに入ったら最初に、思わず口をぽかんと開けて真上を見上げかねないような。なんじゃこりゃ。

 当然、慣れ親しんだライブ会場のような熱気はなく、かと言って冷淡な空気感にピリピリするでもなく。5℃程度しかなかった外気と比べれば暖かさを感じる一方、暖房らしきものが見当たらない不思議。閉じられた空間の割に狭苦しさはなく、荘厳さと開放感が併存しているようでした。

 

 

@hirooockが投稿した写真 -

※メディテーションに際して聖堂内は撮影禁止だったため、Instagramを引用しております

 

 そして何よりも圧倒的だったのが、パイプオルガン。見上げるほどの天井の、その最上部まで到達しようかというサイズ感が半端ない。アクションゲームだったら、物語中盤で登場して、こちらを押しつぶすべく徐々に迫ってくる系のボスモンスターだ、これ……!

 屋内はピラミッド的な三角錐(実際は“錐台”?)の内部のようでいて、高さが充分にあるせいなのか、はたまたその場が醸し出している雰囲気のせいなのか、やはり閉塞感を覚えることもない。背面には、先程のオルガンの圧倒的質量があるにも関わらず。RPGだったら、前面のパイプ部分が本体で、後部のパイプが右と左でそれぞれ物理攻撃と魔法攻撃を繰り出してくる系ボスモンスターだよね、これ……。

 

 

Sam Cochranさん(@cochransh)が投稿した写真 -

 

 ほへーっとキョロキョロ見回しつつも、メディテーションが始まるまで、座って待機。そこで、ぼーっとしてみてふと気づいたのだけれど……この感覚は、アレだ。お寺さんで、仏像を前に正座しているときの心持ちに近い。どちらも神聖さを感じる空間でありながら、居心地は良いのです。

 

祈り、唱え、耳を澄ます

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教会敷地内、駐車場近くにある「ルルドの洞窟」。

 

 さて、時間になると神父さまが前に立ち、この集まりの概要と意図、注意事項を簡単に説明したのち、すぐにオルガン演奏が始まります。この日の演奏曲は、以下のようなプログラムとなっておりました。

 

【前奏】J.S.バッハ

  • 「おお罪なき神の子羊」 BWV656
  • 「あわれんでください」(マタイ受難曲より)
  • 「わたしは神から離れない」 BWV658
  • 「バビロン川のほとりに」 BWV653

【後奏】J.S.バッハ

  • 前奏曲とフーガ ハ短調 BWV546


 「わーい、バッハだー」なんて思ったのも束の間、そもそも教会音楽・賛美歌の知識が皆無の自分。聞いたことがあるような、ないような、あるような……と考えるのも止め、素直にパイプオルガンの音色を楽しむことに。なにげに、生で聴くのは初めて……?

 オルガンの奏でる音自体は耳馴染みのあるものでしたが、それを「聖堂」という空間で聞くという、雰囲気による印象差と、独特の反響音が記憶に残りました。一口に言えば、便利な言葉ですが――“ライブ感”。生の教会、生の演奏、生の体験による、“生きた音楽”が身に沁みる。

 

 そして、演奏後は祈りと唱和、聖書朗読に祈願でござる。「アナタハカミヲシンジマスカー?」と問われれば、「いてもおかしくはないと思ってます!」という曖昧な回答をする自分。でも、その場にいる大勢の人と一体になって、同じ方向へ祈りを捧げるという行為には尊さを感じました。

 と言うのも、今日は3月11日。5年前の、誰にとっても悲劇でしかなかった震災も、それが及ぼした影響や生活の変化は個々人で異なります。地域差はもちろんのこと、その瞬間に被った実害もあれば、その後の変化が積み重なって顕在化した悲劇だってある。個人の“体験”は、共有できない。

 

 僕自身、「2011年3月11日」という日をここで振り返ろうとすれば、自分なりの体験に即してブログであれこれと書いたんじゃないかと思う。

 ――就活まっただ中だった。書いていたESをほっぽり出して津波の映像に釘付けになった。Twitterを行き交うデマと情報とを吟味していた。計画停電で面接に行きそびれた。就活の方向性が変わった。SNS上の自粛の空気を見て考えた。卒論の内容に影響を与えた――などなど。

 

 表面的な出来事と変化にとどまらず、胸の内にごちゃごちゃと渦巻いている何かは、今なお存在している。けれど、5年経ってもそれらすべてを言語化する段階にあるとは自分でも思えないし、それをネット上に書き殴るべきなのかどうかも判然としない。

 そういった“ごちゃごちゃ”に苛まれる中にあって、ただ純粋に、他の人と一緒に同じ方向を向いて「祈る」という、それだけの行為に臨んだのが、5年目の今日となりました。言葉にならず、解決にもならない。だけど、オルガンが奏でる音の奔流に身をあずけ、あれこれと物思いに耽り、最後は至極単純な「祈り」という行為に帰結する。聖堂を出るときは、入るときよりも晴れやかな気分でした。

 

 もしかすると、本来の教会で行われるべき「祈り」とはまったく別の方法で、自分が勝手に自己完結してしまっただけの話なのかもしれません。

 だとしたら、申し訳なくもあるのですが……それでも、今日という日にふらっとあの場を訪れ、いろいろ考え整理する機会をくださったことには、本当に感謝でございます。演奏も素敵で、神父さまの言葉も印象に残りました。

 

皆さんはきっと、近所や通りがかりの神社やお寺の境内にお入りになったことがあるでしょう。

同じように、お近くのカトリック教会にもぜひいらしてみてください。

関口教会の聖マリア大聖堂は毎日、開いています。一人静かに祈りの時を過ごすことも、ミサ(礼拝)でともに祈ることもできます。

 

 これまでは「教会」と聞くと異世界のイメージが強く、敷居も高く、それこそド○クエの世界でしかお世話になったことがなかったのですが……。ホームページを見たらこのようにも書いてあったので、今後も時折、おじゃましてみたいな、と。“神社”のたとえで安心しました。

 

 

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