ぐるりみち。

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“民主主義”をもう一度考える『ぼくらの民主主義なんだぜ』

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 「政治なんて、わけのわからないものだ」と、今でもそう考えている。

 

 子供の頃にテレビで目にした“政治家さん”の話は難しくてよくわからないし、学校で学んだ「社会」や「公民」の授業は形式的すぎてつまらなかった。どこの議員さんが失言をしたとか、お金の問題がどうだとか、ニュースや新聞で取り上げられるのはそうした「失敗」ばかり。

 成人してやっとこさ手にした選挙権も、持て余してしまっている。仕事で忙しい中で立候補者と公約を確認し、読み込んでもピンとこない。じゃあ話を聞けばいいかしらんと街頭演説に足を運んでも、ガラガラの声を張り上げ公約を繰り返し「清き一票」を求められるだけ。

 

 なるほど、わからん。それもこれも多分、自分の頭が悪いせいなんだろう。これまでずっと、“むつかしいもの”として関わることを避けてきた「政治」に参加する資格なんて、きっと自分にはないのだ。

 わからないなら、詳しい人に任せればいい。街中を歩けばデモだなんだと、ネットを見ればネトウヨだどうのと、まるで小学生の喧嘩のように罵詈雑言を浴びせ合っている人たちも、きっと心中では論理的に考えて「国」や「自分たち」のために行動しているのでしょう。

 

 そんなふうに考えていた時期が、私にもありました。

 

 

時事問題を「自分ごと」として考える

 

 『ぼくらの民主主義なんだぜ』の著者は、作家の高橋源一郎@takagengen)さん。2011年4月から朝日新聞の連載「論壇時評」に掲載してきた同氏のエッセイ、48本を加筆し書籍化したものです。

 「政治?なにそれおいしいの?」レベルのあんぽんたんにもおすすめできる本として紹介されていたのが目に入り、購入。専門用語などで引っかかることは皆無ながら、非常に読み応えのある一冊でした。読後感もすっきり、おなかいっぱい。

 

 タイトルに「民主主義」という単語が踊っているものの、もともと新聞の連載記事だったということもあり、取り上げられている話題はさまざま。震災に原発、国際問題、ブラック企業に天皇制、国の形に幸せのかたちなど多岐にわたります。

 トピックだけを見ると、身近な生活の話から国の問題まで幅広く扱っているのだけれど、それらすべてを引っ括めて「自分ごと」として考えさせるような書き口は、読んでいて腑に落ちた。「知らんがな」で終わらせず、文章ひとつひとつが示唆的に感じる文章。

 

 筆者の文体ゆえに「身近さ」を覚えさせるような文章となっているのは間違いない。でもそれ以上に各文章に共通しているのは、筆者自身もそれを「わからない」ものとして寄り添いながら、考え考え執筆していることを感じさせる内容になっていることが挙げられると思う。

 

ぼくたちひとりでは「見えない」ものも、専門家は見せてくれることができる。だが、専門家が見つけたものにはそれを「見よう」という強い意志を持つ、ぼくたちのような素人が必要なのだ。

 

 「見えない」ものを見せてくれる専門家に対して、何も知らないぼくたちは意志と疑問でもって答えることができる。政治に関しては門外漢のアホちんでも「ぼくら」として参画できるんじゃないかと、もう一度そう思わせてくれる。

 少し前に「『わからない』を認識するところから始めよう」的な記事を書いていたこともあり、上記引用部分の指摘には強く共感させられました。だんまりからは何も生まれず、“見えないモノを見ようとして”こそ、“いくつも声が生まれる”のかもしれない。オーイエーアーハン

 

多種多彩な「民主主義」のカタチ

 いろいろな話題を取り上げている本書ではあるけれど、いずれの文章にも共通して、「物事は不確かである」ということが繰り返し語られていたように読めました。

 論壇誌の主張や、著名人・政治家が発表した言説を参照し、賛否を示しながらもさらに複数の視点からの意見を取り上げ、あらゆる角度から光を当てる。それでも最終的には「個人」の視点に戻ってきて、読者各々に考えさせるような問いかけを投げかけてくれる。

 

 二極化しがちな個々の事象、ともすれば「“世間的には”多大な批判を集めた意見」からもその根底にある思想を読み取り、そんなに単純化できることではないと提示する。認識を改められ、リセットさせられ、「じゃあどうしよう?」と原点に立ち返る。

 ひとつめの文章、震災の翌月に掲載された「ことばもまた『復興』されなければならない」に始まり、「言葉」や「意見」の不確実性が何度も論じられていた点もおもしろい。「ことば」のプロである著者が、その強さでもって文章と物語を書き綴ってきた作家さんが、その不確かさを語っている。ならば、素人のぼくらはいったい……。

 

 「民主主義」という言葉もまた同様だ。同じ社会に生きる多数の人間が“一緒にやっていくためのシステム”であるそれは、二人だけの関係性から始まり、地域、国、世界にまで拡大することができて、それぞれに違った「民主主義」があって然るべきだ、と。

 

ぼくたちはひとりで生きていくことはできない。でも、他人と生きることはとても難しい。だから、「民主主義」はいつも困難で、いつも危険と隣り合わせなものだ。誰でも使える、誰にでもわかる、「民主主義」なんてものは存在しない。

 

 なればこそ、“ぼくたちは、ぼくたちの「民主主義」を自分で作らなきゃならない”。本書では数多くの「民主主義」のカタチが参照されているけれど、個人的には、台湾の学生たちが議会を占拠したエピソードに関連して述べられていた表現に共感しました。

 

「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、『ありがとう』ということのできるシステム」

 

 結局のところ、それが何なのかはわからないし、そんなに単純な話じゃないというのもわかっている。でもそもそも、一人として同じ人間がいない社会で「ひとつ」に決めてやっていくこと自体が無茶苦茶な気もするし、確定のできる問題・言葉ではないのでしょう。

 

 だからもう一度、自分の近くから「民主主義」を考えてみよう。

 

 

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