僕が知らない、ぼくを知らない「夏祭り」をひとり歩く


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川越氷川神社「縁むすび風鈴」〜幻想的な音と光のコラボレーション

 都心での用事を終えて最寄り駅に戻ると、外からお囃子の音が聞こえてきた。人波に流されるように歩いて行くと、小学校や駅前通りのスペースを使って夏祭りが催されているらしい。浴衣姿のちびっこたちが駆け抜ける後方を、若い奥様方が追いかける光景。うーむ、夏だ。

 

少年時代 の 夏の思い出

 「夏祭り」と言えば、自分にとって思い出されるのは小学生の頃の記憶。マンガやアニメで描かれる、テンプレートのような「夏祭り」。

 数多くの露店が立ち並ぶのは、神社の境内に。親から渡されたおこづかいの、夏目漱石の旧千円札を握りしめ、友達との待ち合わせ場所までひた走る。わたがし、りんご飴、チョコバナナ、焼きそば。何を買うかを品定めしながら、お祭り特有の喧騒に気持ちが高ぶる。うん、夏だ。

 

 りんご飴をなめなめ、男友達と遊びまわった夏祭り。浴衣姿の女の子集団と遭遇し、いつもと違う装いにドキドキしつつもからかったり、見回りの先生軍団と鉢合わせ、宿題云々をツッコまれて逃走したり。ぼくらの夏休みは、まだ始まったばかりだ!

 くじや射的の景品に目を奪われる、子供ごころが懐かしい。いいところを見せようとしたお調子者の友達が見事に射的で撃沈したり、くじの景品のどれが欲しいと言い合ったり。遊戯王カードはいらないんだ、僕はポケモンカード派なんだ。しかもよく見たら、文字が削れて「聖なるバリアミフーフォース」になってるんだけど。そして、さも当然のような顔をして祭りの最後まで残っているのは、一等のプレイステーション。

 

 どうせ2学期になれば毎日のように顔を合わせることになる連中だけれど、それでも小学生にとっては長い長い夏休みの間に、いっときの「再会」を楽しむことのできる空間は特別だった。

 みんなで花火を眺めて、店じまいをしている露店の近くでぐだぐだとバカ話をして、別れて家路につく帰り道、ご近所の女の子と鉢合わせて、絶妙な距離感で一緒に歩いて行く中で、なんだかドキドk……ぐああああああああああああ!!!!(恥ずかしさにのた打ち回る)

 

 あの頃の「ぼく」の夏は、もう帰ってこない。

 

年に一度の再会の場

 中学・高校生ともなれば、地域の「夏祭り」の意味合いもまたちょっと変わってくる。

 それぞれが別の学校へ進学すれば、お互いに約束をして会う機会も減るもので。そのまま自然消滅しかねない……というところで、思わぬ「再会」の場となるのが、中学・高校時代の「夏祭り」だった。

 

 結構な人が集まるお祭りとは言えど、地域単位ともなれば規模も限られてくるもの。特に目的もなくぶらぶら歩いているだけでも顔見知りとすれ違うし、「おっひさ〜」なんて声をかければ「最近どうよ〜」と雑談が始まる。

 道の脇にそれて、相も変わらずりんご飴をなめなめしながらダベっていると、通りがかった別の友人と目が合い再びの「おっひさ〜」。いつの間にやらグループを形成した「○○小学校卒業生組」は、お祭りの中を歩きながら別のグループとすれ違い、合流・分断を繰り返して、軽く同窓会の様相を呈してくる。

 

 Facebookはおろか、mixiすらもまだ普及過程だった当時、年に一度の「お祭り」は、特別な場としてその役割を果たしていたように思う。疎遠になりつつあった地域の友人をつなぎ、ほどほどの距離感でもって関係性を継続させる結び目のような。

 ハマっている音楽やらゲームやらの話をしつつ、たまーに盆踊りの輪に飛び込んでアホをやりながらも、進路の話題・情報交換が行われるのも、“らしい”と言えばらしかったのかしら。変わったところと変わらないところをすり合わせつつも、それでも変わらずバカ騒ぎできる関係性。それはきっと、何ものにも代えがたい。

 

 彼ら彼女らは今、どこでなにをしているんだろう。

 

いつまでも ぼくらの 基地の中

 今現在、家の近くから聞こえてくる祭り囃子は、僕の知らない喧騒だ。そこで行われている夏祭りを、そこに集う人たちを、僕は何ひとつ、誰ひとりとして知らないし、彼らも僕のことを知りようがない。

 

 そんな「夏祭り」を繰り返してきて、もう何年になるだろう。

 

 現在の住まいに引っ越してきたのは、約2年前のこと。その前の千葉県某市に住んでいたのは1年半の間。さらにその前の埼玉県某市は3年間。もっと前の某町は6年間。もっともっと前の茨城県某市は3年間。それ以上前の愛知県某市は1年間。さらにさらに――。

 引っ越してきた人間は、外から来た“よそ者”は、その地域にずっと流れる文脈を知りえない。その土地の学校を卒業したわけでもなく、特定のコミュニティ属した経験もなく、当然、「同期」という存在は、皆無だ。ただただそこに住む、「住人」のひとりに過ぎない。

 

 畢竟、「夏祭り」に足を運んだところで誰かと再会するようなことはなく、顔見知りとすれ違うことすらない。「おっひさ〜」の掛け合いは遥か遠く、小学生以来の友人と酒を酌み交わすという夢は叶えられない。そこに「僕」の居場所はないし、「ぼく」を知る人はいない。

 それは、そういうものなのだ、と。転勤族あるあるだよねー、と。理解はしているものの、ふとしたときに寂しくなることは否めない。夏ならではの、夏祭りならではの文脈を共有できないことは、お祭り好きとしてはちょっと「残念だなあ」とも思うのだ。だって、夏だし。

 

 「夏」という季節を歌った歌はたくさんあるけれど、その分「あなたにとって『夏うた』と言えば?」と聞いたときに、返ってくる答えは各々に異なるからおもしろい。海を想起する歌も挙げる人もいれば、ひと夏の恋を思い出す歌を特別に感じている人もいる。

 その点、僕の場合は真っ先にあの曲が思い浮かぶ辺り、やっぱりどこか寂しさを意識しているというか、“酔いたい”という気持ちが根底にあるんだろうなあと思う。だって、小学生の夏に初めて聴いたあの日から、ずっとずっと変わっていないんだもの。俗っぽいかもしれないけれど、まあそういうことです。

 さて、りんご飴くらいは買いに行こうかな。ぼっちでも、お祭りの空気感はだいすきなので。どこかの誰かにとっての、年に一度の特別な空間の、その風景の一部くらいにはなれますよう。

 

 なーんて。

 

secret base ~君がくれたもの~ (10 years after Ver.)

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