ぐるりみち。

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本の感想をアウトプットしておいたほうが良い3つの理由

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 大学時代、いわゆる「文芸部」的なサークルに属していたこともあって、本を読む習慣は一応あった。定期的に発行する機関誌では企画・編集っぽいこともやっていたし、日頃からmixiでは読書日記をつけていたし。たまに見返すと、あにゃー! ってなるやつ。あにゃー! 

 一方、「量」という点でも「質」という意味でも、当時と現在では「読書」という活動の細部が変わったような気もする。周囲に合わせて意識的に話題の書を読むようになったし、本を読むことによって得られた知見がそのまま収入を左右することすらある。

 ただ、そうした環境や考え方の変化はあれど、「本を読む」という行為そのものは自分にとって自然な活動のひとつで、その本質は大きく変わってはいない、とも。特に高尚なものだとも感じていないし、自分の興味関心の赴くままに楽しむ趣味であり、学びであり。いつもいつでも、「本」は自分の傍らに。

 

 この数年での大きな“変化”と言えば、大学の小さな部室で気の知れた友人と語り合うでなく、mixiなどのクローズドなSNSで自由気ままに思ったことを書き込み交流するでもなく、「ブログ」という開かれた空間に「本の感想」を書き記すようになったこと。

 ――自分がどうやってその本を読んだか。どの部分に感銘を受けたか。心震わされたか。どのように書けばその魅力が伝わるか。どこの誰に読んで欲しいか。

 本を読むことで自分の中に浮かび上がってきた納得あるいは違和感を斟酌し、それを他人の目を意識しつつ外へと書き出す作業。それはとっても刺激的で、程よく頭をこねこねできる楽しい時間。なぜなら、本もまた特別な存在だからです。

 

 そうすることで顕在化したメリットは少なくなく、だからこそ今も月に何本かは感想記事を投稿しているわけであります。いつの間にやら「読書」カテゴリーの記事も120本を超えるくらいに積み重ねられてきたこともあり、今一度、「本の感想をまとめること」のメリットについて自分なりにまとめてみました。

 

 

1. 過去・現在・未来の自分の比較検討が可能になる

 一口に言えば、「同じ本でも、読んだその時々で感想は変わる」という当然の話。

 

 「中学時代に読んで意味不明だった文学作品を、10年後に読んだらむちゃくちゃ共感できて驚いた」という話は決して珍しいものではなく、「読書あるある」としていつの世も共有されている事実だと思います。やるじゃん、芥川。太宰、お前だったのか――みたいな。

 でもこれって年齢に限った話ではなく、その時々の時代性や社会背景や価値観、さらには読者の気分によっても、いとも簡単に変わってくるものなのではないか、とも。極論、昨日は「はいはいワロスワロス」と読んでいた恋愛小説が、翌日の失恋後に読んだら「わかる……わかるわあぁぁぁああああ!!」と叫びたくなるような心境の変化があってもおかしくはない。

 

 そうした変化は得てして目に見えないものであり、過去の思い出は美化されがちなもの。ゆえに、読み終えた瞬間の感情や気付きを書き出しておくことは非常に価値のある作業なんじゃないかと、僕は考えています。

 自分の場合、ひとつ過去に後悔したことがあって、余計に「記録」に重きを置いているのかも。学生時代、小・中・高校とそれぞれ別の年代に、同じ本をテーマに異なる書き口で読書感想文を提出して、いずれも賞を取ったという経験があるのに、その記録が残っていないという事実。……ちくしょう! 残っていればブログのネタになったのに!

 ともかく、写真に収められる物体や風景と違って、その一瞬の自分の思考や感情は喉元過ぎれば消えてしまうもの。なればこそ、箇条書きでもいいからざっくりと言語化しメモしておくことによって、後で読み返す「楽しみ」をひとつ、未来に託すのもいいのではないかしら。

 

2. 「本」を媒介としたコミュニケーションが強化される

 これはブログを始めてから気づいたことなのですが、ネット上には意外と「本」の話をしたい人がそこら中にいるらしい。

 読書メーターやブクログなどの記録サービスを見れば、毎日のように本を読んで感想を書き込んでいる人も少なくないし、ブログで感想記事を書けば、本のジャンルや著者によって毎回いろいろな人からコメントをいただける。いつもありがとうございます。

 そうした交流は、読書会や勉強会と比べれば“ユルいつながり”ではあるものの、なかなかに心地の良いやりとりなんですよね。ネットニュースでは誰も彼もが同じ話題に言及している一方で、ふとした時にこそっと書いたマイナーな本の感想にコメントがつくと、仲間を見つけたようですっごく嬉しい。それが意外な人だったりすると、余計におもしろい。

 

 加えて、ブログなどの場で継続的に本の感想を書いていると、自然とその人が好きな本の傾向も明らかになってくるもの。パッと見ではジャンルも著者もバラバラでも、何かしらテーマ性が一致していたり、根底を流れる思想に共通点があったり。

 そうした「傾向」って、意外と自分ではわからなかったりもするんですよね。そんなときに、たまたま通りがかった読書家さんから「その話題ならこんな本もありますよ?」とか、いつもブログを読んでくれている読者さんに「こういう本も興味あるかもしれません!」と勧めていただけると、最高にありがたい。

 

 実際、この数ヶ月、「読書」に関する話題が多かったのは『読書について』をプレゼントしていただいたことによる影響が大きいし、同じく勧められた『危険な文章講座』を読んだことで、「文章」について考える機会も増えた。

 それらは、ブログで感想を記録していなければされなかったであろう「おすすめ」だし、本を読んでいなければなかった「出会い」かもしれない。そういった意味で、自分の感想を表に出すことで得られる「交流」も少なからずあると思います。――読書は、出会える!

 

3. 「読書習慣」の継続と循環が生まれる

 「記録」という行為の基本的なメリットのひとつとして、“ある物事を継続させやすくなる”という、アレですね。三日坊主を防ぐための、特定の行為の「習慣」化。

 自分の目に見えるような、されには他人の目からも見られるような形で「記録」することで、否が応でもそれを続けざるを得ない状況に追い込む形。……って書くと言い方は悪いけれど、やっぱりこれって効果的だと思います。「記録」という活動そのものを、続けるための理由付けにする格好。もちろん、楽しめなくなっては元も子もないので、“義務”化しない程度に。

 

 また、先ほどの「交流」の促進とも被りますが、SNSやブログの場で自分と同じく本の感想を記録しているユーザーがいれば、それも読書を続けるモチベーションになるのではないかと。

 相手の「記録」が自分にとっての動機付けとなるように、自分の「記録」も相手にとっての動機付けとなるかもしれない案件。モチベーションの循環。駄サイクルとは違う……はず。これなら、エエ感じに回ってくれるのではないかしら。

 

 あとはブログの場合――お金の話になりますが――本の感想記事にアフィリエイト広告を掲載していれば、そこで発生した収入から新しい本を買う費用を捻出することにつながる、という視点もあるかと。新たな本を買って読むために、本を読んで感想を書く。

 とは言え、書籍のアフィリエイトから発生する収益は微々たるもの。10冊買ってもらって、ようやく1冊買えるかどうかレベルのはずなので、コスパは悪いです。あくまで付加価値、おまけ程度に考えておくのが健全ではないかしら、っと。

 

そんなことより、本読もうぜ!

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 ――と、それっぽいタイトルを付けてから本文を書き始めようとしたところで、ぶっちゃけ「本の感想」に限った話ではないことに気づいた。

 言うなれば、それは「記録」によって受けられる恩恵。年単位で考えれば一瞬に過ぎない瞬間の思考や感情を“自分の言葉で”言語化し、後で参照できるようにすることで可能となる比較検討。外部に表明することで得られる関係性。あるいは継続性。もしくは収益。

 

 「個人の日記なら、非公開で好き勝手に書いていればいいじゃん」という主張もその通りだとは思いますが、自分がどこへ行った、何を食べた、何をした、何を考えた――という個人的な話が何らかの価値を持って共有されるように、「本を読んだ」も同じく、それだけで意味のある作業なんじゃないかな、と。

 畢竟、たとえ周囲にとって無意味で無価値でも、自分にとっては何らかの意味を持つものになりうる。それならば、「とりあえずメモっとこ」くらいの感覚で本の感想を書き記し、時間があれば内容を広げて他の人と共有したい。そうすることを、個人的にはおすすめしたく思います。

 

 何はともあれ、本読もうぜ! 

 

 

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