ぐるりみち。

平成生まれのフリーライターのブログ。本・映画・マンガ・アニメの各種レビューに、旅行・グルメ・街歩き日記など。

無職になって、見るのが楽しくなったもの・辛くなったもの

 ブログの下書きをあさってたら、こんなのが出てきた。無職になってから「見るのが楽しくなったもの」と「見るのが辛くなったもの」の一覧。

 要するにアレっすね。環境の変化によってもたらされた、自分の視点の変化。自分の生活がちょっと変わったことで、それまで見えていた世界が、別のモノとして姿を現すようになったのです……! なんて大仰な話ではないけれど。

 

見るのが楽しくなったもの

スケジュール帳

 面倒な取引の予定、苦手な顧客とのアポイント、気が重いだけの会社の飲み会……。そのような、自分にとってあまり良いものではない「予定」ばかりが書かれていたスケジュール帳が――なんということでしょう。自分の思うがまま好きなまま、自由に予定を埋めることができるようになったのです!

 まっさらところに予定を埋めていく楽しさ。それまでは、「◯時 △さん 訪問」といった仕事の予定ばかりが淡白に書き込まれていただけなのに、今や(執筆当時)全てが我が意のままじゃ! ふーははは!

 断れるものは断ってしまえばいいので、基本的に書き込まれるスケジュールは、自分の好きな人と会うものだったり、気の許せる仲間との飲み会だったり、楽しみなイベントだったり、嫌な予定は皆無でござる。平日夜のトークイベントにも参加できるようになり、生活が楽しい。

 ただし、たまに「予定を埋めねば!」という強迫観念に迫らせていたような記憶も。予定があるのが当たり前だった生活で、「何もない」はある意味、恐怖。バランスは大切。

 

 読書全般は、無職である今の方が楽しく感じる。もちろん、会社員時代も「本を読む」行為は自分の大切な時間であり、趣味であったけれど、いかんせん時間がないので、積ん読がたまる一方なのです。

 ゆえに、週末の読書はどこか「作業」じみたものになってしまう。とにかく消化せねば!と速度を意識して読んでしまうし、本に優先順位もつけてしまう格好。忙しい日々の清涼剤であることは間違いないのだけれど、なんだかそれも、急いでがぶ飲みしているような気がしておりました。

 だからこそ、今は読書が超楽しい。自分にとっては難解な本も時間をかけて読めるし、読書ノートを作りながら読み進めることができるようになった(参考リンク:本の感想のまとめかた~読書ノートを作って、まとめる。小説やラノベといった物語作品に関しても、自分の自由なペースで一気読みできるのでありがたい。『皇国の守護者』とか、当時の生活環境ではとてもじゃないけど読めなかったっすよ。濃すぎて。

 

見るのが辛くなったもの

預金通帳

 基本的に、増えることはない数字。ボーナスが入ればものすごい勢いで「ひゃっはー!」と雄叫びを上げつつ住宅街を徘徊していた当時と比べて、今はあまり見たくない。住民税……健康保険……年金……やめろぉおおぉお……こっちにくるなああああ!

 退職当時は7桁だった残高が、一番酷い、3桁になったときにはもう、胃がはじけ飛ぶかと。社会に出て、自分の力で稼ぐことの辛さと楽しさを知ったと思ったら、その儚さ、というか大切さを再認識した1年でございました。

 今は1周回って、「フリー」として稼ぐことの難しさと充実感を実感している段階でござる。シミュレーションゲームみたいで楽しい。

 

日常系アニメ

 これはびっくりした。サラリーマン時代には、「きん!ぱつ!」と毎週楽しみに見ていた『きんいろモザイク』。早起きできた日は出社前に、忙しい週には退社後の眠る前に一人、寮の個室でニヤニヤしながら見ていた日常系アニメが、無職になって楽しみづらくなってしまった。

 そうなんです。思ったよりも僕は、「こころぴょんぴょん*1できなかったのです。それよりもむしろ、1話の時点で「これは僕の好きなタイプや!」と速攻で電子書籍をポチって案の定ハマった『ノーゲーム・ノーライフ』や、1話も外れなく毎週むちゃくちゃ楽しんで見ていた『ピンポン』、「やっぱり良い曲じゃねーか!」と評価を改めた『ラブライブ!』などのアニメが好きで見ておりました。……ん?ラブライブは日常系?

 のんべんだらりと過ごしていると、やはり日常系よりも波のある、刺激のある作品の方に惹かれるようになるのかしら。もちろん、単なる好みの違い、という可能性も無きにしもあらず。わざわざ記事を書くくらいには「こころぴょんぴょん」していたので。

 

まとめ

 「これだけかよ!」と思ってスクロールしてみたけど、これだけしか書かれていませんでした。おそらく、項目が少ないのでボツにしたのでしょう。一部、こじつけ感も否めないし。

 「会社員」の自分と「無職」の自分を比較してみると若干の違いが出てくるように、そのときどきの生活環境や精神状態によって、ある物事やコンテンツに対して抱く感想や印象は変わってくるものなのでしょう。逆に考えれば、その「違い」を明確に言語化できれば、自分を客観視することもできるんじゃね?と、ふと思った。

 ちょうど1年ほど前にもこんな記事を書いておりましたが、小説にせよ、マンガにせよ、ゲームにせよ、アニメにせよ、基本的に「作品」は不変の存在。時代に合わせてリメイクされることもあるけれど、誰かの手によって作られた創作物は、見た目が風化しても、その中身、内容まで変わることはありません。

 変わるのは、それを読んで、見て、触れている、「自分」の方。だからこそ、その瞬間瞬間の「感想」をまとめておくことって、無駄ではない、意義のあるものだと思うのです。そのときの思いを言語化することによって、過去の自分と現在の自分を客観視しながら比較することができるので。

 

 中学生の頃に読んだ『人間失格』は意味不明だった。大学に入って読み直したら、無駄に感情移入してしまって落ち込んでいた。じゃあ、いま読むと……?と考えてみるのも面白い。

 たまには、ちょっとした時間があるときに、自分の「変わった部分」と「変わっていない部分」にそれぞれ目を向けて、整理してみるのも悪くないのではないかしら。――よし、それっぽくまとまったぞ。わぁい。

 

 

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