自分だけの「本棚」と、それを見せ合いっこする楽しさ


 基本的に、一人の人間が見ることのできる景色には限界がある。自分の目の前にあるものしか見ないという人もいれば、できるだけ多くのものを視界に収めようと周囲をきょろきょろ、精一杯背伸びをしている人もいる。かたや、傍目には周りを見ているようには見えないのに、周囲で何か動きがあると誰よりも速く反応するような、頭の後ろにも目がついているんじゃないかってレベルの人もいる。それは残像だ。

 そうした、一人の“見える”視界を「観測範囲」と呼んだりすることもあるけれど、これはあらゆるコンテンツにも当てはまるものだと思う。ちょうど今、話題になっている「ライトノベル」も、その例に漏れない。2ちゃんねるにTwitter、個人サイトにブログなど、人それぞれに知っている「インターネット」の世界が違うように、「小説」や「ライトノベル」といった広範なジャンルを語るには、はっきりとした定義なしには始められない。

 ……けれど、僕自身はそのような“定義”を語れるほどにラノベの世界にどっぷり浸かっているわけではないので、その話は置いといて。個人的に思うことをつらつらと。

「ライトノベル」と聞いて、思い浮かべる作品は?

 ライトノベルの歴史は長く、時にオタクが“第◯世代”などとカテゴライズされるように、それをいつ頃知ったか、また、始めに知った作品は何かなどによって、その人の考える「ライトノベル」は全く別物になってくるんじゃないかと思う。自分に関して言えば、最初にラノベに触れたのは2000年前半、ゲームのノベライズ作品でした。

 当時は「ライトノベル」なんて括りは知らず、単に「ゲームの小説版」として買って読んでいた格好。そういう意味では、自分にとっての「ラノベ」は本作品ではございません。イラストの付いた小説ではあれど、他にコミックのノベライズなども読んでいた時期だったので、特に違和感も何もなく。たびたび“名作”として挙げられる、この辺とかも読んでましたね。

 では、自分が「ラノベ」と認識した上で初めて読んだ作品は何かと言うと、高校時代に友人から勧められた、御影瑛路著『神栖麗奈は此処にいる』でした。

 本作の特徴は何と言っても、「イラストがない」こと。今でも割と「ライトノベル=イラストありき」というイメージで語られがちな印象があるけれど、最初に読んだラノベがこれって。勧めてくれた友人は、どうして、最初にこんなナックルボールみたいな変化球を投げてきたのだろう……。

 その後、時雨沢恵一著『キノの旅』シリーズにハマり、秋山瑞人著『イリヤの空、UFOの夏』などの電撃文庫の有名作品を摘みつつ、一方では講談社ノベルスの奈須きのこ著『空の境界』なんかも夢中になって読んでいた記憶が。きのこおいしいです。

 そんな感じで、僕にとっての「ライトノベル」と言えば、真っ先に思い浮かぶのはこの辺り。上の世代になれば、それこそ『スレイヤーズ』やその他のSF系の作品が多く出てくるのかもしれませんし、今の中学・高校生にとってみれば、『カゲロウデイズ』を始めとする「ボカロ小説」がその代表になるんじゃないかしら。そのくらい、「ライトノベル」に対して各々が持つイメージはばらばらなんじゃないかと思う。

「本棚」にない本のことは語れない

 で、この「ラノベを馬鹿にしている」層っていうのがどの辺りにいるのかが、正直なところ僕にはわからない。確かに、たびたびネットで「最近のラノベwwwwwww」的なまとめを目にすることはあるけれど、だってあの人たち、読んでないじゃん。

 文章創作に限らず、音楽でも映画でも絵画でも何でも言えることだと思うけれど、その作品に触れようともせず、一部分だけを取り上げてあーだこーだと罵ってるのって、批判というか「悪口」でしかないんじゃないかと。いや、それ以前の問題かしら。

「あるジャンルが馬鹿にされているかどうか」なんて、なかなか定量化出来る話ではないとは思いますが、それを承知で頑張って考察するとしたら、まず「馬鹿にしている人達は誰なのか/どんな層なのか」という考察が必要でしょう。勿論なかなか統計がとれる話でもないとは思いますが、「馬鹿にしている人達の中には、そもそもその作品に触れていない人がかなりの数いる」というのは当然の前提ですし、その前提を敷いていないと考察自体が的外れになりかねません。そういう人達について、コンテンツの内容が云々言うのはそもそも意味がないと思うんですよ。

(「読まずに馬鹿にする人」は珍しくもなんともないというお話、あるいは批評の追随者について: 不倒城

 「あるモノについて、よく知りもせずに口出しする」ことの怖さ、危うさ、浅はかさは、日常的に創作をしている人や、ブログ・SNSで情報発信をしている人ならば身にしみてわかっているのではないかと思う。変に知った顔してツッコむと、炎上しかねない。

 だからこそ、そうした「知らないモノを馬鹿にしている」層の言葉は聞き流してもいいんじゃないかと思ってる。だって、意味がないんだもの。もちろん、創作者からしたらたまったもんじゃないだろうし、自分の好きな作品を適当なツッコミで貶められたらムカッとはするけれど。

 そんなときは、ポジティブな方向で語れるよう、応援できるようにしたい。あなたはそんなことを仰りますがね、この作品にはこういうおもしろさもあるんですよ、と。……ただし、高確率で「オタクきめえwwww」という罵声が返ってくるのがオチなので、その層はスルーして、別のところで魅力を語れば良いのです。愛のままに、わがままに。

ライトノベルの「本棚」は広い

 最近は「ライトノベル」と言うと、どうしてもアニメ化された人気作品ばかりが思い浮かんでしまって、その印象のままに批判されているのかもしれない。やれハーレムだ、やれ俺TUEEEEEだ、みたいな。実際にアニメ化されている作品を見ても、そこまで極端な共通点はないと思うんだけどねー。イメージって怖い。

 一方では、出版社側も似たような作品を乱発している、といった指摘もあるけれど、基本的には「ジャンル問わずなんでもあり」な部分が、ライトノベルの強みであり特徴なんじゃないかと思ってます。SF、ミステリー、ファンタジー、ミリタリー、青春、学園、萌え、ラブコメ、ギャグ、パロディ、なんでもござれ。

 「なんでもござれ」と言えば、これまた有名な野村美月著『“文学少女”シリーズ』という作品がありまして。シリーズの1冊ごとに、国内外問わずさまざまな文学作品、随筆、詩集などがモチーフとされていて、物語に深く関わってくる話なんですが、自分はこれの影響がむちゃくちゃ強いっぽい。

 それぞれのモチーフとなった作品を読んだことで、明らかに関心を持つジャンルは広まったし、それらをまとめて「感想」としてmixi日記に書いていた経験は、間違いなく今のブログの元となる部分だと思う。自分の部屋の本棚が、一気にカラフルになった。ジャンル的な意味で。

 そんなこんなで、そうやっていろいろな趣味嗜好を持った人たちが「ラノベファン」として併存していることから、たまに他の人のおすすめを読むと、世界が広がっておもしろい。コミックや小説のまとめ記事と比べると、「ラノベまとめ」系の掲示板やブログでは、各々が好き勝手に自分の「おすすめ」を全力で語っているようで、熱量がすごい。感想だけで、ものっそい読み応えがあるんですよ。

 細分化された「ジャンル」に縛られない、若干は垣根が低い(ように見える)ライトノベル界隈は、独特ながら非常に楽しいコミュニティができているんじゃないかと思います。もちろん、愛ゆえに衝突もあるけれど。お互いに自分の「本棚」を持ち寄って、見せ合いっこするのは楽しい。

 結局何が言いたいかといえば、どうせなら「嫌い」よりも「好き」を語りたいよね、という当たり前の話でした。「嫌い」を語るにしても、しっかり読んだ上でツッコめばいいのです。なんでやねん。

 

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