ぐるりみち。

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説明書はいらない? ブログの「型」の効用と悪影響

 何か新しく物事を始めようとするとき、どこから手を付けるかは人によって異なると思う。

 

 「とりあえず、ググる」なんていう僕のようなタイプもいるだろうし、「まずは書店(図書館)で入門書を探す」という人もいるのではないかしら。もちろん、「なんかよくわからないけどはじめてみました!」といった勇猛果敢な前衛スタイルもいるでしょう。

 取っ掛かりは様々だし、対象となる活動・物事によっても最適化された手段があるものとないものがあるはず。最終的にはどれも “いろいろやろうぜ” で落ち着く気がしなくもないけれど、「とりあえず、やってみる!」の “ガンガンいこうぜ” にはいかほどの効果があるのだろう。

 

「入門書」は知識ゼロの初心者にとっての道しるべ

 どのような分野においても、大抵は「入門書」が存在しているもの。学校で落書きしていた教科書だってある意味ではその一種だし、本屋さんにいけば「◯◯入門」「はじめての◯◯」「◯◯を始める前に最初に読む本」といった類のハウツー本には事欠きません。

 最近では「歌い手」や「YouTuber」を目指すための本なども存在し、ぶっちゃけ何でもありでござる。確かに取っ掛かりがあった方がやりやすいし、実際に参考になる本もあるんだろうと思う。例えば、こんなの。

 

 

 1年前くらいにYouTubeが流行っていると聞いて読んでみたら、思いのほか「動画制作」に関して分かりやすく解説されていてびっくりした記憶がある。分かりやすい言葉と図示。ネットで検索した情報を自分で組み合わせるよりは、まとまっている印象。

 もともとは「YouTuberって何やってるん?」「どんなカルチャーがあるの?」といったことを知ろうとページを開いてみたら、意外と実践的で面食らった。稼げるかはともかくとして。

 そんなわけで、全くの知識ゼロから何かを始める、学ぼうとする場合には「入門書」の存在が役に立つ。何をすればいいかも分からない状態の中、先人の知識は初心者をその道へ誘う道標的なものとなる。そういう意味では、「型」を知ることは大切だ。

 

正解はひとつ! じゃない!!

 ところが一方では、そのような「型」が通用しないケースもある。新しく始めた活動に関して「実績」を得ようとするべく、先人の言うとおりに、本に書いてあったとおりに取り組んでみたものの、うまく結果がついてこないような場合。

 「入門書どおりに試したのに効果が無い」というケースは大抵、「数字」が関わっているものだと思う。株でいくら稼ぐとか、ブログで何人集客するとか。

 お金やら人間やら、言い換えれば周囲の「環境」や「外部評価」が関わってくるものについては、過去の成功体験・方法論をマネしてみても失敗に終わる場合がある。ある程度、成功率を上げることはできるのでしょうが。

 

 数字でなくとも、個々人の感性や価値観が関わってくる物事についても同様だ。音楽や絵画などの芸術分野はその最たるものだし、万人に評価される作品なんていうものは存在しない……はず。たぶん。

 大勢に認められている作品は、ある文脈においてその価値判断基準が共通・共有されることで称賛を集めているのではないかしら。「歴史的価値」とか、「技術面で優れている」とか。「いま、巷で流行!」も、ある意味では同様の “文脈” を持ったものかと。

 

 いずれにせよ、そのような外部の要因が関わってくる物事に関しては、入門書を始めとする「型」は、あくまで入り口にしかならないものだと思う。

 絵画ならデッサン、歌ならボイストレーニングなどの「型」をこなすことで、ある程度までは基礎能力を身につけることはできても、「これをしたから人気者!」「稼げる!」「大成功!」なんてことにはならない。その先は、自分で創り上げていかなければならない。

 

 人によっては、逆に「型」にこだわり過ぎたことでガッチガチに縛られ、それを辞めてしまうようなこともありがちに見えるので、モノは使いようなのかな、と。

 おもしろそうだから、楽しそうだから、という動機で始めようとするのなら、まずは「型」などは気にせずに、その思いのままに好き勝手に取り組んでみた方が長続きはしそうな気がする。限界を感じたところで、選択肢のひとつとして「型」を利用すればいいのだから。

 

ガンガンいこうぜ + いろいろやろうぜ

 というのも、新たにブログを始めよう、始めた人の文章を読んでいると、どうも「型」に固執し過ぎているようで、もったいないようにたまに思えるので。読んでいると、なんか息苦しそうに見えるブログがちらほらあるような。

 「型」はその人の能力を一定まで底上げするのに役立つし、実際にそれを利用することで「読みやすさ」や「わかりやすさ」を付与させることもできる。けれど、誰もが使う「型」は読み手の食傷をもたらすものでもある。一口に言えば、ワンパターン。

 おなじみのフリー素材とか、文字数が云々だとか、導入や文末はこうするだとか。そうした先人の「型」を利用することで得るものもあるのだろうけれど、他方では失っているものがあってもおかしくない。それを「個性」と一括りにするのには抵抗があるけど、近しいもの。

 

 僕自身もまだブログを始めて2年かそこらのペーペーなので、偉そうなことは言えませんが。今書いているこの話題だって、読む人によっては「何週目の話題だよ……」と飽き飽きするものかもしれませんし。

 もちろん、「型」に限らず、あえて何かの「縛り」を設けることで物事をうまく進めようという方法は基本的なもの。毎日更新とか、PV数の目標設定とか。メディアとして運営していこうというのなら、それは当たり前の設定だろうし、動機付けにもなると思う。

 けれど、「おもしろそうだから」と興味や関心を持って始めた“ブログ”に関しては、無理にそのような「縛り」や「型」を設けなくてもいいと思う。人によっては逆効果になりかねないし、楽しめなければ意味がない。そういう意味で、「最初の動機が何か」という点は割と重要になってくるのかもしれないけれど。

 

 

 何が言いたいかっていえば、結局は「とりあえず、まずは自由にブログやってみようぜ!」って話なんですが。

 対象の物事やその人の動機によっても変わってくると思うけど、「日記」としてのブログに関しては、最初は“ガンガンいこうぜ”で良いと思う。慣れてきたら、“いろいろやろうぜ”に作戦変更することで楽しくなってくるかも。

 

 

 

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