インターネット特有のダラダラ感が好きです


ぶらぶら、だらだら。
無駄など承知のうえで、それでも消費せずにはいられない。

 

ネットの海を、ぶーらぶら

ネットサーフィン」という言葉はもう死語なのかもしれないけれど、昔っから、目的もなくぶらぶらとウェブ上の記事を読みあさったり、ゲームのアレンジ音楽を聴いたり、個人サイトのマンガやイラストを見るのが好きだった。

他に00年代前半にネットでやっていたことと言えば、FLASHアニメを見て爆笑したり、『箱庭諸島』や『FF ADVENTURE』といったCGIゲームをプレイしてみたり。

もちろん“課金アイテム”なんてものは存在せず、更新時間まで待って、時間になった途端に画面更新を連打連打。ハマるとなかなか抜け出せないのです。それが今や、艦これでデイリー任務を消化する日々ですが。まさか、ブラウザゲームに帰ってくるとは思わなんだ。

 

見知らぬ人とのチャットも楽しかった。何時間も、下手したら半日も同じチャットルームに居座り続け、訪れる“どっかの誰かさん”と同じ時間を共有するだけ。

他愛のない雑談をぐだぐだまったりと続けつつ、どこかで共通点が見つかると嬉しくなる。好きな小説とか、アーティストとか、同じ県内に住んでるとか。風邪をひいて学校を休んだ日中なんかにもやってたような。当時付き合ってくれていた人は、どんな世界の住人だったんだろう。

 

テキストサイト界隈に関しては、あまりよく分からない。有名どころをたまに覗いていたような覚えはあれど、記憶に残っているのは「僕の見た秩序。」くらい。『ゆかいな誤変換。』、買いました。懐かしい。

はてなダイアリーの文章もちょくちょく目にはしていた……はず。ただし、具体的に読んでいたサイトは忘れた。さすがに当時のパソコンの“お気に入り”は残っていないので。当時から、はてなブックマークを使っていれば……。

 

何はともあれ、00年代前半からインターネットに触れ始めた僕にとってのそこは、学校などの日常生活では得られない「おもしろい」と出会える場所でした。

テレビっ子ではなかったこともあり、雑多でごちゃごちゃしているものの自分にとって魅力的な「おもしろい」を自ら探し、発見することのできるネットにハマるのは必然だったのでしょう。個人サイトもいいよね……。毒吐きネットマナー……同盟……キリ番……(ボソボソ

 

乗るしかない、このビッグウェーブに

しばらくすると、SNSやら何やらと、雑多なウェブサイトとはちょっと異なる多彩なウェブサービスが現れてきた。そして、僕もそれに乗っかり、乗り移っていくスタイルが当たり前になった。

 

モバゲーやmixiといったSNSに始まり、YouTubeやニコニコ動画などの動画サイトへ。SNSは自分にとって“チャットや掲示板の発展形”のようなものに見えて、継続的にネット上での交流を続けられるのはとても心躍るものでした。前略プロフィール。

動画サイトに関しても、“FLASHアニメの発展形”のようなイメージから入って、世界中から投稿される動画を手軽に見ることのできるという感動。基本的に低画質だし、違法動画も数多くあったけれど。Stage6。

それら流行りのサービスに乗っかって、それぞれに形成される特有の文化圏の中で過ごすのは刺激的なもの。2ちゃんねるの「祭り」ほどの盛り上がりはないだろうけれど(2chはROM専でした)、それでもその多くがリアルでは得られない体験であり、虜になった。

 

そんな感じで、その時々のネットの「流行」に乗り移り続ける流れは、今なお受け継がれているように思う。Twitterやニコ動に飛び乗り、「おもしろい」ブログやサイトを見つけては共有して、あれこれ言い合って楽しむ形。

ビッグかどうかはすぐには分からないけれど、自分にとって「おもしろそう」な波が来たらとりあえず飛び乗ってみる。そうして周囲も巻き込んで、ひゃっはーすることの楽しさよ。それをリアルにまで繋げることが、今や個人で可能になっている。

もちろん、一方では弊害も生まれているけれど。あまりに気軽に流れに乗っかり、誰もが簡単に発信できてしまうという点。それがいわゆる「炎上」的なもので、やはりテキストがメインの媒体では“何を書いて、何を書かないか”といった線引きと選択が重要なんでしょう。

 

ツールも様々、利用者も様々、カルチャーも様々と合っては、全体で共有されるべきルールを作ることも難しく、各々のリテラシーに頼るしかない。

その点は、うまくやっていくしかないのかなー、と。リテラシー以前に、どの程度の“マナー”を認めるべきか、という問題もあり。ネットマナー、ネチケットと聞いて思い出されるのは……毒吐きネットマナー

サイトのあるなしに関わらず誰もが“発信者”になった今、“管理人寄り”のネットマナーを提示したあの文章を読み返してみると、感慨があっておもしろいかも。

 

ネットで無為に時間を消費すること

根本的に、ネットサーフィンは無為なものだと思う。テレビや映画、マンガや本などのように明確なパッケージがなく、リンクでどんどん他のコンテンツへと移動できるため、終わりがない。自分が望めばいくらでも消費し、時間を浪費することができる。

“ネットサーフィン”なんて言うけれどその実、足元にあるのは沼・沼地なんじゃないかと思う今日この頃。上手な人はサーフボードに乗ってベチャベチャと進んでいくのだろうけれど(沼の上を)、下手な人はズブズブと沈んでいくのみ。

 

でもでも、沈んでる人も楽しそうなのがインターネットだと思うのです。「うっひょおおおおおおお!!たのっすぃぃいいいぃガボガボガボガボガボガボゴボァ!!(沈)」ってノリで。

沈んだ先で思わぬ“拾い物”をするかもしれないし、ビチャビチャと犬かきをしていたら、心休まる小島にたどり着くこともあるかもしれない。承認欲求とこじらせ人間の集まる、でも夜には星がきれいな沼地の片隅の村に歓迎されるかもしれない。

 

それを「楽しい」と感じる人は、たとえそれが無為な時間を浪費させる「沼」だと分かっていても、飛び込まずにはいられないんじゃないかしら。無駄でもアホでもいいんすよ。だって、楽しいんだもの。

その中で出会いがあって、「ヘイ!よかったらそこまで、オレの船に乗っていかないかい?」と誘われることだってあるかも。あ、でも大半は泥船だから注意してね。あっという間に沈むというか、沼と同化しちゃうからね。それなら泳ごう。

 

そんなこんなで、特に着地点も決めず思い浮かんだ記事タイトルから思いつくままに書いてきたので、この辺で。そんじゃ、ちょっと沼で泳いでくる(`・ω・´)b

 

関連記事