ぐるりみち。

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ネットスラングとしての「コミュ障/コミュ症」という言葉について



 読みました。記事の内容に関しては全面的に同意なのですが、ネットや若者の会話中で使われる「コミュ障」あるいは「コミュ症」という“言葉”について考えてみると、本来の「コミュニケーション障害」に基づく意味合いは薄いのではないかと思いまして。

 言うなれば、「中二病」や「リア充」といったネットスラングに近いもの。言葉が一般化したことによって、その語感がもたらす印象のままなんとなく使っており、そもそもの意味すら知らない可能性もある。

 「コミュ障」という言葉は、それを使用する人によって意味の異なる“マジックワード”なのではないかしら。

 

 

“こみゅしょう”って、なんですか?

 恥ずかしながら、僕自身も当初はその指し示すもの(コミュニケーション障害)を知らず、流行りの言葉として使っていたような記憶がある。確か、就職活動の始まる前後、2010年くらいのことだったはず。

 

 

 Googleトレンドで確認してみると、こんな感じ。

 

 「コミュニケーション障害」が00年代前半からウェブ上で取り上げられている一方、「コミュ障」もしくは「コミュ症」は、10〜11年頃に表れた言葉であるように見える。僕が耳にするようになった時期とも、だいたい合っている。

 

 付け加えると、僕はしばらく、“こみゅしょう”という言葉を「コミュ症」の字で脳内変換しておりました。

 当時は、「就活ではコミュニケーション能力が最重要視される!」的な文言をあちらこちらで聞かされていた、目にしていたこともあり、「コミュニケーションが苦手な人のことなんだろう」と漠然と理解したつもりになっていた形。

 それゆえに、「障害」の「障」というイメージは全く頭にございませんでした。いやいや、調べろよ、ググれよ、って話なんですが、まあなんとなく分かった気になっていたんでしょう。実際、その理解のまま使って通用していましたし。

 

 これは僕に限った例である可能性も否めないけれど、少なからずそんな感じの甘い“ノリ”や“ネタ”で、無責任に流行り言葉を使っている人もいるのではないかしら。

 

「コミュ障」という自己正当化

というわけでガチで診断された人以外の自称コミュ障の人はよろしくない。コミュ障害というものを免罪符的につかっている人、そういうガチの人以外はプロフにコミュ障を掲げるのはやめてほしい。何よりもガチの人に迷惑すぎる。

 

 冒頭のフミコフミオさんの記事でもこのように指摘されていますが、仰るとおり。耳が痛いっす、はい。

 つい最近までこの言葉を使っていた身からすると、こうやって手軽に自らをレッテル貼りすることで自分の弱さや欠点を正当化できる「言葉」というのは、ありがたいものなんですよ。「非モテ」や「ゆとり」も似たようなものだと思う。

 

 特に就職活動の期間には、この「コミュ障」「ゆとり」というふたつの言葉が、まるで合言葉のように自分を含めた周囲で使われておりました。

 

 新聞や雑誌、ネットの報道を読めば、「ゆとり世代が新入社員として入ってくるぞー!気をつけろー!」いった内容や、その特徴・問題点を羅列した記事が否が応でも目に入ってくる。

 批判を避ける、スルーする、あるいはそれに慣れるための最も簡単な手段は、「自虐」だと思うのです。その結果、「どうせゆとりですしおすし」と、苦笑いしながら受け流していた格好。反論もせずに。今となって考えれば、思考停止もいいところなんですけどね。

 

 また、学内の説明会でも、合同説明会でも、就職情報サイトでも、どこを見てもデカデカと掲げられる「コミュニケーション能力」の文字。

 お世辞にもそれが高いようには見えない、文系の小さなサークルに所属していた僕と同期たちは、「コミュ力ってなんやねん……」と哲学的な問いを飲み会のたびに話すことに。だって、企業や講師によって、語る“コミュ力”の意味が違うんだもの。どないせいっちゅうねん。

 

 ――なんて、自己正当化のさらに正当化……というかなり醜い主張をしているようにも見えるかもしれませんが、そのような考え方が一部にはあったことは間違いない。「コミュ障」と「コミュ力」は対をなす、対義語のような存在でした。

 端から見れば、教科書通りの基準を求めて、右往左往しながら安易なレッテルにしがみついていただけの甘ちゃんなのでしょう。実際、その流れに溺れず自立していた人が就活でも「成功者」と言える地位を獲得していたようですし。自立、しませう。

 

「コミュ障」?「リア充」? “言葉”の基準はさまざま

 「コミュ障」や「リア充」といった言葉は、使う人によって定義・意味合いの全く異なる、いわゆる“マジックワード”だと思う。

 例えば、「リア充」という言葉。この言葉を解説しているページをいくつか参照してみると、もともとは2ちゃんねる発祥とされ、「リアルの生活が充実している人」をそう呼んで「非リア充」な自分を自虐的に見ていたような様子が見て取れます。

 

 

 この言葉がマジックワードたる所以は、単純に「何をもって“充実している”とするかは人によって違う」という話。

 

 極端に言えば、こんな基準もあり得る。

  • “友達はいるけど恋人はいない”人にとっては、恋人がいる人はリア充。
  • “恋人はいるけど友達がいない”人にとっては、友達がいる人はリア充。

 

 だからこそ、明らかにサークル活動も勉学も充実している人が「リア充うぜーwww」と話していてもおかしくはない。言い換えれば、「彼女持ちうぜーwww」と同義なのだと思います。“僕は友達が少ない*1”、みたいな。

 何を当たり前のことを、とツッコまれるかもしれないけれど、「コミュ障」に関しても同様なのではないかしら。

 

  • 同年代とはいくらでも仲良くなれるけれど、年上は苦手なAくん
  • 慣れるまでに時間が必要、初対面の人とはうまく話せないBさん
  • 自分の話はいくらでもできるけど、他人に関心が持てないCさん
  • 相手の話を聞き出すのは得意、でも、自分に自信が皆無のDくん

 

 こんな4人がいるとして、みんながみんな、自分のことを「コミュ障」だと思っていてもおかしくはない。というかこれ全部、自分をそうだと語る友人の例です。

 で、Aくんからすれば、ゼミの教授と会話を繋げられるBさんは「コミュ力が高い」ように見えるかもしれないし、Bさんからすれば、すぐに他校のサークルの人とも打ち解けられるAくんは「コミュ力が高い」と羨んでいるかもしれない。Cさん、Dくんも同じく。

 

 「リア充」にせよ「コミュ障」にせよ、言葉の定義も曖昧*2だし、それに関する自己評価、他者評価も人によってばらばら。

 一言でまとめてしまえば、「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな*3」と。

 

 とりあえず、彼氏彼女を持った経験があるどころか取っ替え引っ替えしているような人が、恋人のいない期間に「非モテつらいわーマジつらいわー」と嘯くのはよろしくない。泣くぞ。

 

自分の言葉で言い換える

 このような“マジックワード”を曖昧なままにしないためには、自分の言葉で言い換えることがひとつ、解として挙げられる。「リア充」なんて言わないで、さっきみたいに「彼女持ちうぜーwww」でいいんすよ。

 

  • 「リア充」は、“趣味嗜好に関係なく日々を楽しんでいる人”。
  • 「コミュ力」は、“相手の意見を尊重しつつ自分の主張も伝えられる能力”。
  • 「コミュ障」は、“継続的に雑談が続けられない人”。

 

 例えば、このような形に言い換えるとか。「毎日楽しそうだよねー」「よく話すし、ちゃんと聞いてるよねー」「他愛のない話を続けるのが苦手でさー」みたいな。ちょっと言い方がうざい?すみません。

 ただし、「コミュ障」に関しては冒頭の記事でも指摘されているように、元となる病気が存在している以上、自虐ネタでも何でも、安易に使うべきではないのでしょう。そんなこともあり、最近は“人見知り”と言うようにしていたり。

 ただ、「コミュニケーション障害」で調べてみると、その特徴が自分に当てはまっているようにも見えてしまうのよね……。やっぱり、こういうのって一度は診察してもらった方がいいのかしら。

 

 対面のコミュニケーションで咄嗟に言葉が出ず、後になってから「ああああああちがうんだよおおおおおあそこではこういうことを言いたかったのにいいいいいい!!」と電柱に頭をガンガンぶつけているような人間なので、伝えられることは「文字」に頼ってます。

 それならそれでもいいのかもしれないけれど、自分に問題や欠点があるのならば、やはり直したい・治したいところ。病気なのか、もしくは性格が悪いだけなのか。いずれにしても、「病気(性格)だから仕方ない」で終わらせず、どげんかしたいものでありまする。

 

 

関連記事

*1:僕は友達が少ない - Wikipedia

*2:「コミュニケーション障害」とは別の意味を持って一般化されているとした場合。

*3:お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではなとは - ニコニコ大百科