「またあした」と言える誰かがそこにいる幸せ


 

 うるっときた。ライチュウかわいい。
 何がズルいって、最後のページの全部のコマがズルい。

 

 帰りたくないと泣くのだけれど、 “保護者” に頭を撫でてもらって、納得して、ばいばい、と手を振る姿がたまらなく愛おしい(首を引っ込める)。で、オレンジ色に染まる地面に伸びる影とかもう……う、うわあああああああ!!!!(壁にロケットずつき)

 タグの「また、あした」を先に見ていてせいで、「またこようね」「ばいばい、またあした」という台詞が脳内再生されました。はふぅ。

 

多分なんの変哲もない普通の話だと思います。

 

 作者さんはこう書いているのだけれど、そんな「当たり前」の情景であるからこそ、強く共感させられるのでしょう。のすたるじー。栃木で見た、寂れたゲームコーナーを思い出した。

 

 

社会人にとっての「またあした」

 「またあした」「またね」と言える関係性って、子供の頃は当たり前のものだったけれど、一定の年齢を過ぎて関係性が外に広がると、なかなか得られないものであるように思う。

 もちろん、企業や組織に所属していれば、一週間の大半は共に過ごす関係性もあるでしょう。でもだからと言って、「またあした」という言葉を日頃から交わしているかと考えると……そうでもないような。

 

 企業の一員、従業員として、一日の終わりに同僚や上司にかける言葉と言えば、「お疲れ様でした、お先に失礼します!」的なものが大半だと思う。「明日もまたよろしくお願いします!」というのは、あまり聞いたことがないけど……うちだけ?

 むしろ、仕事における「あした」はプレッシャーのイメージしかない。「明日の取引、覚えとけよ―」とか、「月末だし、明日はしっかり稼いでこいよ……」とか。わっしょーい! 明日も仕事だ―! わーい! ……とはならないです、はい。

 

 社会人生活で楽しみな「あした」と言えば、やはり週末でござる。「金曜日だ! 今日が終われば、明日は休みだぜー! ひゃっはー!」というもの。休日出勤を頼まれそうな雰囲気を感じたら、突っ込まれる前にちゃっちゃと帰るが吉。すたこらさっさだぜぃ。

 会社勤めをしていた僕にとって楽しみな「あした」とは、親しい人と自分を繋げるものではなく、逆に、週5日顔を合わせている相手との関係性を断ち切るものだった。そして、日曜日は絶望に打ちひしがれるのである。サザエさん……ぐおお。

 

 

毎日がエブリデイだった、少年時代の「またあした」

 そんな「大人」の経験があるからこそ、子供の頃の思い出はどうも美化されがちなのかもしれない。実際は嫌な記憶も経験もあるのだけれど、「あの頃」を語ろうとして思い浮かぶのは、きらきら眩しい無垢な思い出たち。Oh……のすたるじぃ……。

 中学・高校くらいになると、ちと怪しいけれど、小学生の頃の「またあした」は輝かしい。

 授業が終わり、帰りの会で「「「さようなら!!!」」」の唱和。走って家に帰って、ランドセルを投げ捨てて。代わりに持ったボールやらゲームやらと一緒に、チャリを漕いで、公園あるいは友達の家に集合。暗くなるまで遊んで、「またあした!」。やべえ泣きそう。

 

 あまり過去を懐古するのもアレですが、少年時代の「またあした」は、やっぱりどこか前向きな印象が強い。友達とみんなで遊んで、楽しかったからこそ、お互いに「また」と言えるんだろうな、と。もしくは、何も考えていなかっただけかも。

 ひとたび社会に出てしまえば、予定やら計画やら将来設計やらと、先のことを考えざるを得ない。見えないものは見えないままの方が良かったんや!……とまでは思わないけれど、大人になるってそういうことなのかしら。

 

ポジティブに前向きに、「また」を使えるように

 日本語の「別れの言葉」について、ちょろっと検索してみたら、このような記事が見つかりました。

 



 「さようなら」が、元は接続詞「左様ならば」であることは有名ですが、そこで省略されている「仕方ない」という意味合いを鑑みた上で、それを “奥ゆかしさ” として説明した内容。語源を知ると後ろ向きな印象を抱くけれど、そうやって捉えれば悪くはないのかも。

 ほかには、「ばいばい」「それじゃあ」「じゃあね」「お疲れさま」「またね」「ごきげんよう」などなど。前向きとも後ろ向きとも取りづらい。

 「おつかれ〜」は部活系発なのか、大学生発なのか、いったい何なんでしゃろ。出会いと別れ、どっちでも使えて超便利だけど。現在の自分の基本でもある。

 

 「『ばいばい』じゃなくて『またね』がいい」といった言い回しはたまに見られるものですが、「また」という表現には、どことなく前向きさを感じられて好きです。

 ただ、「またの機会に」「機会があれば」と言われると、「ああ、これは機会がないやつだ」と考えてしまうことも。それならば、「またお会いしましょう」くらいの方がポジティブで良い感じ。……ちょっと形式的すぎ? そんな歌もあったよね。場面が違うけど*1

 そう考えると、やはりハム太郎メソッドは素晴らしい。「今日は楽しかった!」と振り返って見た後で、自然と「明日」に意識が移っているので。前向きに、てちてち歩いていこうじゃないか。

 

 

 そうやって、家族でも、友人でも、(ハムスターでも、)自然と「またあした!」と言えるような関係性と環境があれば、楽しく生きていけるいんじゃないかしら。そして、一日の始まりには。

 

 

 ぞいぞい! と。
 自然とやる気になるのですよ。うむ。

 まとまりの悪い内容ですが、それでは、これにてドロンさせていただくでござる。

 

 

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