ぐるりみち。

日々日々、めぐって、遠まわり。

僕は、あなたに、ことばを伝えたい。

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言いたいことを言えなかった日は、ショボーンクッションに癒してもらうのです。

 



 読みました。言葉は伝わらない。言語はコミュニケーション手段として不完全。全くもって、仰るとおりだと思います。

 特にインターネットにおいては、それが顕著。「テキスト」には、情報量が少なすぎる。実際に目の前で話す場合には得られるもの、声色、抑揚、視線、表情、身振り手振り、その他諸々の情報が、「文字」では得ることができない。

 でも一方で、僕はもっともっと「文字」の可能性を信じたい。というか、文字がないと僕は、ただの人見知りおじさんとして生涯を終えるのみになってしまうような気がする。いや、気がするだけです。きっとなんとかなるよ、うん。なにいってんだこいつ。

 

 

コミュニケーションは「なんとなく」の上に成り立っている

 テレパシーが使えず、相手の感情をそのままコピーして体感することのできない人間さんは、他人を完全に理解することができない。日常的に行われている「コミュニケーション」は、共通の言語体系や文脈を互いに斟酌して、なんとなく理解した気になっているだけ。

 

 人間さんの原始的な「感情」だって、後付けで名前を付けたものであるわけで。「私は怒ってるのよ!ぷんすか!」なんて、どれだけドスのきいた低音で響かせようと、その怒りの度合を正確に知ることなんてできない。

 その点、“激おこぷんぷん丸”ってすげえよな。最後までネタたっぷり、アホみたいな字面なのに、なんとなく伝わっちゃうんだもん。

 

 どれだけ言葉を増やそうと、どれだけ語彙力を身につけようと、自身の感情を正確に表現することはできない。にも関わらず、自分でも分からないものを相手に伝えようとするのだから、もう大変。

 相手がその「言葉」の意味や使い方を知っていることが前提となるだけでなく、その「言葉」を使うに至った背景、時系列、感情の機微の変化まで理解して、それでも「なんとなく」分かった気になれる、くらいのレベルじゃないかしら。

 

 自身の「怒り」の度合いをなんとか伝えようと、語彙力をフル動員して、「げきオコスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム!!」なんて叫んだところで、相手には伝わらない。

 結局、正確なところは分からないので、「わかるわ。すごく、すごく、怒ってるのね」と、苦労して付け足した「言葉」の山を、集大成を、極限に削ぎ落とされてしまうのだ。ちゃうねん。わし、めっさ怒ってるねん。カムチャッカ半島やねん。

 

インターネットは「伝わらない」

 そんなこんなで、リアルのコミュニケーションですら不完全なのだから、「文字」なんてものを間に入れて何かを伝えようとすれば、そりゃあうまく伝わりませんし、時にぼーぼー炎上しますよ。ムカ着火ファイヤーですよ。

 ちょっと前に、こんな記事を書きました。

 



 なんか偉そうなタイトルですが、要するに、「文字」で何かを表現し、伝えようとするのであれば、〈感情〉と〈情報〉のバランスが大切になってくるよね!という話でした。

 

 〈感情〉を重視すれば、主張が“共感”という形で様々な人に伝わりやすくなる一方で、その部分だけを読んで“誤読”される場合もある。最悪、燃える。

 淡々と〈情報〉だけを伝えようとすれば、最低限の人へそれを届けることはできるかもしれないが、一部の人にしか読まれない。最悪、誰にも見向きされない。

 

 どこまで自分の〈感情〉〈意見〉〈印象〉を乗っけるか。どのような「ことば」選びをするか。元は全く同じものでも、たったそれだけを変えるだけで、相手に伝わる〈情報〉は如何様にも変化してくるし、その反応も、いろいろな方向へと枝分かれする。

 

 だからこそ自分が、何を、誰に、どのような意図を持って伝えたいのか、という点を考えることは、非情に重要だ。炎上のリスクを持ってまで伝えたいことなのか。それとも、どうせ伝わらないのだから、適当でもいいや、と思うままに発信するのか。

 

 自分が伝えたいものは、自分の感想やら考えやら余計なものが削ぎ落とされた〈情報〉なのか、それとも、自身が直面した出来事や経験に端を発する〈感情〉なのか。

 前者の場合は、堅っ苦しいものになりがちなので、読者の共感は望めず、多くの人には読まれづらい。国営放送のニュース的な。“いのちをだいじに”。

 後者の場合は、多くの人の共感を得る可能性は格段に上がる一方で、反論も呼びやすく、ネット的には「炎上」のリスクを伴うもの。“ガンガンいこうぜ”。

 

 ネットメディアなどを見てみると、この辺のバランスを予め決めた上で運営しているところが多いんじゃないかしら。〈情報〉とか〈感情〉なんて考え方はしていなくとも、例えば、どこまで「中の人」が見える文章にするか、といったような。

 個人ブログの場合も、この辺を自分で「なんとなく」でも決めて取り組むことで、炎上のリスクを減らせたり、記事の方向性を固定できたり、といったメリットがあるかもしれない。

 僕は「好き勝手」を信条としているので、その日その日でテンションと内容が変わります。今日は、割と荒ぶってる(ノリノリな)日。作戦は、“いろいろやろうぜ”

 

あまりに情報量の少ない「テキスト」

 そんなネットの様相を見ても分かる?ように、文字コミュニケーションは、とんでもなく伝わりづらい。

 なぜならば、リアルのコミュニケーションよりも多くの段階を踏んでから「文字」として可視化されるため、「伝言ゲーム」よろしく、齟齬が発生しがちだからなんじゃないかと思う。

 

 リアルでのコミュニケーションを短縮すれば、多分、こんな感じ。

【自分】感情 → 言語化 → 発声

→ 伝達 → 言語化 → 理解【相手】

 

 ……すみません。これこそ、伝わってるか怪しい。自分から相手に伝わる過程を書いたつもりなんだけど、やっぱこういうのは図示した方がいいっすね、はい。

 人によっては、すぐに発声せず、自分の中でこねくり回してから発言するような人もいるでしょうが、とりあえずはこんな流れで。

 

 で、文字コミュニケーションの場合は。

【自分】感情 → 言語化 → 書き起こし → 文章化 → 投稿

→ 読む → 言語化 → 理解【相手】

 

 おそらく、途中でもっと複雑な行程があるんだろうけれど。脳の話とかは分からんです。

 

 何が言いたいかっていうと、自身の感情を「文字」「文章」として表現しようとする場合は、リアルと比べて、外に出す(発声、投稿)までの段階が多いのよね。

 それゆえに、うまく表現できる人、できない人の二極化が進んでいるんじゃないかと思う。思うような言葉が出ず、淡白な表現になってしまったり、リアルほどは勢いのない物言いになってしまったり。だから、「強い言葉」「大きな主語」が好まれる。

 ソーシャルDQNの方々が、「論破」という表現を好むのは、「なんか強そう」だからなのではないかしら。伝わったか伝わってないかは置いておいて、言いたいことは言ったし、理解できる反論も返ってこないので、とりあえず言っておく“勝利宣言”。

 

 これは単純に語彙力だとか国語力の問題ではなくて、「相手の姿が見えない」ことによるもの。物理的な仕草なんかもそうだし、どんな生活をしているだとか、どのように生きてきただとか、一個人の「背景」そのものがゼロであること。

 テキストそのものに情報量が少ないだけでなく、お互いの「人となり」すら分からない。言うなれば、一面の霧世界の中、「なんとなく」見えている「誰か」に向かって、「それは違うよー!」「日本語でおkー!」と叫び合っているような。こみゅにけーしょんって、難しいね!

 

「ことば」をこねこねして、吐き出すのは、楽しい

 ところが他方では、「文字の方が伝えやすい!」という変わり者もおりまして。はい、私です。

 人見知りというかコミュ障というか、対面のコミュニケーションで咄嗟に言葉が出ず、後になってから「ああああああの場ではああいうことを言いたかったのにいいいいいい!!」と電柱に頭をガンガンぶつけているような人間なので、「文字」の存在はありがたい。

 

 なぜなら、先ほど書いたように、外に出すまでの段階が多いので。感情や思考を言語化して、文字として書き起こして、文章にして、まとめ上げて。

 そうする過程で、「あ、こっちの表現の方がいいかも」とか、「そういやこんな経験もあった!」とか、「こういう考え方もありっちゃありだよな……」とか、選択肢がとびゃーっ!と広まるんですよ。で、それをパッケージングする作業も楽しい。

 

 そうやって、こねこねとこねくり回されてできた「言葉」は、リアルで「はわわ……」なんてあわあわしている僕(かわいい)がポロッと出した言葉よりも、自分の「ことば」っぽい。美化されている感は否めないけれど。

 好きでブログを書いている人にはそんな人が多いんじゃないかと、ふわっとした偏見を抱いていたのでしょうが、そうでもないのかしら。ブロガーなんてみんな、こねこねマンじゃないの?違うの?ぼくといっしょに、こねこね……しよ?(意味深)

 

 けれど、さっき「美化」と書いたように、ここに文章化されている「ことば」は、自分の良いと感じているところ“だけ”を抽出した「作品」でしかないのかもしれない。

 先日読んだ本でも、文章の〈物語化〉が指摘されていたけれど、まさしくそれ。というか、最初はその話を書こうと思っていたのだけれど、どうしてこうなった。

 

 そんなこんなで、久しぶりに勢いだけで書いたようなノリの文章ですが、せっかくなので、推敲なしでこのまま投稿しちゃいましょう。そうしましょう。

 

 可能ならば、リアルの場でも、もっともっと気軽に楽しく「言葉」を交わしたいものだけれど、僕はやっぱり「文字」を使うのも好きなので。

 ブログもなんだかんだと続いているし、僕はこれからも「ことば」を伝えたいなー、と思うのです……って、こういうことを書くから「美化」しているように感じるんですよね。来週もまた読んでくださいね〜、じゃん、けん、ぽん!うふふふふ〜!

 

 

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