ぐるりみち。

平成生まれのフリーライターのブログ。本・映画・マンガ・アニメの各種レビューに、旅行・グルメ・街歩き日記など。

コンテンツ?コミュニケーション?僕らは何を消費しているんだろう?

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photo by Feans

 

 「コンテンツ」か、「コミュニケーション」か。
 僕らはいったい、何を消費しているんだろう。

 

 最近は、特に両者の衝突が目立つように思う。どちらを重視するかが人によって異なることで、「リスペクトが足りない」「内輪の馴れ合いがウザい」、もしくは「好きに楽しんで何が悪い」「オタクはキモい」だのといった批判が、そこら中で噴出しているように見える。

 本質的な内容を重視するか、付帯的なやり取りを重視するか。

 

 

コンテンツを楽しむか、コミュニケーションを楽しむか

 ここで言う「コンテンツ」は、ニュースやドラマ、小説やコミックに、映画やアニメ、ゲーム、音楽などの情報だったり、創作物だったり、といったもの。

 「コミュニケーション」は、主に個人間、もしくは集団内での、人間同士のやり取り。他愛のない雑談に限らず、議論だったり、ウェブ上の交流だったり、も含めたものです。

 

 「コンテンツ」を重視する人からすれば、そこで発生する「コミュニケーション」は副次的な産物に過ぎない。価値があるのは情報そのものであり、創作物の評価は自分の内で定められるものになっていると思う。

 「コミュニケーション」を重視する人からすれば、「コンテンツ」はそのために消費されるものに過ぎない。仲間と同じ情報や創作物を共有し、そこで発生する交流こそが重要。ゆえに、コンテンツは代替可能な消費物。

 前者からすれば、「コンテンツに対するリスペクトが足りない」として、後者が気に入らないかもしれない。後者からすれば、前者がどうしてそこまでひとつのものに固執するのか理解不能だし、「オタクみたいでキモい」といった感想を抱く人もいるだろう。

 

 実際のところはどちらかに振りきっているわけではなく、大多数の人は日々、「コンテンツ」を消費しながら、同時に「コミュニケーション」を楽しんでいるように思います。

 ただ、インターネットの普及によって促進されたのか、はたまた元からあったものが可視化されただけなのかは分からないけれど、良くも悪くも、「コミュニケーション」の力は日に日に強くなっているような印象を受ける……のは、僕だけかしら。

 

今も昔も、「消費」のカタチは変わらない?

 少し前、ネットが一般に普及する以前のこと。

 誰もが同じように流行りのテレビ番組を見て、新聞を読んでいた頃。メディアやクリエイターによって作られた「コンテンツ」は、話のタネとして「コミュニケーション」に使われ、消費される存在だった。もちろん、その構図は、今でも普通に見られるもの。

 

 他方では、ニッチなコンテンツを愛し、それをより深く楽しむことを目的とした「コンテンツ本意」のような人々も、少なからず存在した。いわゆる「おたく」の層が、当てはまるのではないかと。

 彼らは、限られた狭いコミュニティで交流もしていたけれど、その根っこにあったのは、「コンテンツ」に対する愛なんじゃないかと思う。数少ない“同好の士”と触れ合いながらも、その評価や思いが他人に左右されることは少なく、割と自己完結していたような印象。

 

 それが、インターネットの登場と普及によって、マイナージャンルの愛好家同士が簡単に交流できる時代になった。コミュニケーションの障壁が下がり、その楽しさを知った。

 また、誰もが知る「流行」を追うだけだった人たちは、それ以外にも魅力的な、ニッチなコンテンツがあることを知った。“知る人ぞ知る”限定感に身をやつし、思うままに「好き」を語り始めた。

 

 このように、インターネットによって「コミュニケーション」の障壁が下がり、同時に、情報としての多種多様な「コンテンツ」に接する機会が増えたことで、何かが起こった。

 「コンテンツ」を重視する人たちと、「コミュニケーション」を重視する人たちが混ざり合い、なんとも言えない混沌とした状態になっているのが、現在のインターネットなんじゃないでしょうか。

 

「オタク」って結局、何者なの?

 00年代以前、「おたく」と呼ばれていた人たちは、どちらかと言えば、コンテンツ本位に偏った人たちが多かったんじゃないだろうか。

 コミュニケーションを前提とした消費をせず、自分の「好き」を徹底的に追いかけ続ける一途な存在。イベントや即売会といった“祭り”の場では、同好の士と交流することはあれど、かと言って、誰もが周囲の流行りに迎合していたわけではなかったと思う。

 翻って、現代。「オタク」という言葉はもはや定義のはっきりしない、人によって全く印象と使い方をされるマジックワードと化しているような印象が強い。

 



 こちらの特集でも書かれていましたが、「オタク」という単語は“なんとなく”負のイメージがある言葉に過ぎず、アニメやライトノベルに親しむ自分たちを、同様の存在だと捉えている10代は数少ないらしい。

 言うなれば、アニメもマンガもラノベもテレビも映画もお笑いも音楽も、全部ひっくるめて、等しく、流行の“サブカルチャー*1”全般を追いかける人たち。そこで発生した「コミュニケーション」を楽しみながら、コンテンツを好きに消費する、自由な印象が強い。

 ニコニコ生放送やツイキャスなどで耳に入ってくる中高生の話でも、「オタク」は「キモい人」としての侮蔑語でしかなく、そこに明確な対象や定義は存在していない模様。「2ちゃんねらー=オタク」とか、気に食わない視聴者に対して「オタクきめえww」とか言うような。

 

コンテンツ偏重orコミュニケーション偏重による問題点

 僕が思うのは、「『コンテンツ』と『コミュニケーション』、こっちの方が重視されるべきだ!」という話ではなくて、結局のところ、そのバランス感覚を誤るから衝突したり、問題になったりするんじゃないかな、ということ。

 

 例えば、特定の「コンテンツ」を愛するあまり、他の作品を貶めるようなケース。パクリ、類似点などに敏感になりすぎるあまり、自分が認めない作品は徹底的に扱き下ろす。信者とアンチは紙一重。

 逆に、「コミュニケーション」のためならば、コンテンツはとことん軽視されてOK、という考えもある*2。Twitterで時たま目に入る、イラスト利用の問題なんかはこれに近いんじゃないかと。転載?いいじゃん、宣伝してやってんだから。俺の為に無償でアイコン描けよ。みたいな。

 

 また、最近は、「おもしろおかしいものならば、何でもおっけー☆」といった風潮が高まっているように感じる。コンテンツが軽視されるだけでなく、何でもかんでもコンテンツ化され、コミュニケーションのネタとされているような*3

 この件については、どこまでが許されるラインなのかという線引きが難しいようにも思います。風刺やパロディならばいいだろう、という人がいる一方、お笑い全般に嫌悪感を覚えるような人がだっているでしょうし。

 

 問題なのは、ネタとして消費されるばかりで、その本質にスポットが当てられていない点。話題性が高まり、広がるだけ広がったら、自然に流行が過ぎて、おしまい。

 「なぜそれが悪いのか」「どうしてそうなったのか」ということが語られることはなく、ただ、“そういうことがあり、ネタとして楽しまれていた”という事実が共有されるのみ。僕自身、その流れに同調している節は否めないので、偉そうなことは言えませんが。

 ネタとして消費されるのみ、言い換えれば、無責任に「ツッコミ」を入れられて終わり。この辺りの問題については、『一億総ツッコミ時代』でも語られていました。

 



 自らの「消費」としての「ツッコミ」を見直し、その上で、「コンテンツ」と「コミュニケーション」のバランスをどのようにとるか。

 この問いに対しては、次の意見が参考になるのではないかと思います。

 

1)相手の好きなものを尊重する。たとえ自分が嫌いであっても貶さない。
2)自分の我を通す事より、相手との人間関係を尊重する事のほうが大切。
3)どちらかが叩きつぶされるまで戦うような事はしない。そうなる前に止める。
4)相手を迎合させようとせず、相手を理解しようとする。その上で人間関係を築く。
5)友人に甘え過ぎない。親しいからこそ礼儀を重んじる。

 

 「オタク同士の友人関係で気をつけたいこと : 渚屋blog」から引用させていただきました。元記事の文脈では、「オタク仲間と仲良くしていくため」のまとめとなっていますが、この件についても当てはまるように思う。

 無理やり一言でまとめようとすれば、「コンテンツ作品とコミュニケーション相手、どちらも尊重しよう!」という感じかしら。当たり前っちゃ当たり前のことだけど、どうも忘れてしまう、というか、流されてしまうのよね。僕も。

 自分の「好き」を表現することは自由だし、仲間と語り合うのも楽しい。もちろん、コンテンツは評価の対象となるものでもあるし、自分が好まないものが話題に挙がることだってあるでしょう。

 

 でもだからと言って、必要以上に貶める必要はない。そこに作り手の思い、ファンの思いが関わっているのだから、作品も人も、尊重されるべき対象であるはず。

 ちょっとネットに繋げば、いくらでもコンテンツに触れることができるし、他人との交流だって簡単にできてしまう今。その流れも早く、必死に着いて行きたい気持ちも分からなくはないけれど。

 

 たまには立ち止まって、自分が何を「好き」で、何を「消費」しているのかを考える機会を持ってみても、いいのではないでしょうか。

 

なんでコンテンツにカネを払うのさ?デジタル時代のぼくらの著作権入門

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*1:「サブカル」という言葉自体も、よく分からなくなっているような……(参考:サブカルチャーとは - ニコニコ大百科

*2:昨今、話題の「著作権」云々も関わってきそう。

*3:なんでもかんでも記事にしているブロガーも同じ穴のムジナと考えると、強いことは言えない……。