ぐるりみち。

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無職になって感じる「社会人」という言葉の曖昧さ

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社会人基礎力(METI/経済産業省)

 「社会人」という言葉がある。一口に言えば、 “社会に出て働いている人” のことだと思われる、この言葉。僕はもう今年で25歳になるけれど、いまだに「社会人」が指し示す人物像がどんなものなのか、よく分からない。

 自分なりの定義を言えば、 “社会的に自立している人” くらいの印象を持ってはいるけれど、それが万人に当てはまるわけもなく。人それぞれが考える、「ぼく・わたしにとってのしゃかいじん」が多すぎて、何とも困る。

 そんな、「社会人」という言葉について。

 

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一般的に叫ばれる「社会人」の意味

 以前、このような記事を書きました。ここでは「社会人」の定義について、次のようにまとめています。

 

「学生でなく、労働などの社会における自身の役割を担っている人」

 

 その上で、 “社会における自身の役割” として、会社に所属して行う労働に限らず、家事や子育て、介護、社会奉仕、伝承活動などを挙げてみた。

 地域社会や家族関係が希薄だとしても、「あなたとわたし」という二者間関係があれば、それは “社会” と言っても差し支えないかと。他者へ働きかける何らかの行為を “役割” として担っているのであれば、それでもう「社会人」と言って問題はないのではないかしら。

 それゆえ、役割も持たない無職は「社会人」ではない、と。切なくなりますね……。

 

就活生・新入社員・無職にとっての「社会人」

 吾輩は無職である。まだ収入はほとんどない(本記事執筆当時)

 僕はこの数年で、就職活動生 →  新入社員 → 無職という、複数の肩書きを持っては手放してきた。そこで感じたのは、「その時々によって、 “社会人” の意味が変わってね?」という違和感。

  • 就活生のとき、大学の就職課や説明会で人事担当に言われた「社会人」。
  • 新入社員時代、上司や先輩社員から強いられてきた「社会人」。
  • 無職になって、友人を始めとする周囲から突っ込まれる「社会人」。

 その全てにおいて、微細ながら、どれもそこに込められた「社会人」の意味合いが異なるように思えるのです。どうにも、都合の良い言葉――マジックワードとして、使われているように思えてならない。

 

「学生」と「社会人」の境界線?

 「社会人」という言葉を強く意識し始めるようになるのは、大学に入学してしばらく後。就職活動の影が忍び寄り、関連セミナーや書籍から情報収集するようになってからだと思う。

 そこで印象づけられるのは、「学生」と「社会人」には明確な差があるという点。

 それまでは学校で勉学に励み、時にアルバイトで日銭を稼いでいれば良かったものが、卒業して、会社組織に所属した途端、環境が激変するから気を付けろ、と口を酸っぱくして言われる。

 

 特に強く強く刷り込まれるのが、「責任」という言い回し。会社という組織の一員となれば、そこで成功するか失敗するかは個人の責任となる。

 帰属意識を持ち、中途半端は許されない。「社会人」としての自覚を持ち、自らの役割を認識し、いち早く組織に貢献できるようになることを求められる。

 

 じゃあ、社会に出るまで、学校を卒業するまでは、全く何の「責任」にも縛られずに生きてきたんだっけ? ……と思わなくもないけれど。

 とにもかくにも、就活を始めて卒業、入社するまでの1、2年間。耳がタコになるくらいに「社会人」という言葉を聞かされ続けた学生は、卒業と同時にその肩書きと、「責任」を背負うことになるのです。

 

企業の一員としての理想像

 就活戦線を戦い抜き、見事、社会への切符を手にした学生たちは、研修という名の準備期間もほどほどに、気付けば「社会人」と称される存在へと変異を遂げる。入社して5秒で社会人。

 そこで求められるのは、とにかく “社会人らしくある” こと。社会人としてのマナー、立ちふるまい、考え方、仕事観を持つことを推奨され、時には強制される。

 ところでこの、 “社会人らしさ” とはいったい、どのようなものだろう? ひとつの考え方として、経済産業省の示す「社会人基礎力」が参考になると思う。

 

「社会人基礎力」とは、「前に踏み出す力」、「考え抜く力」、「チームで働く力」の3つの能力(12の能力要素)から構成されており、「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」として、経済産業省が2006年から提唱しています。

 

 僕の元勤め先で定期的に提出していた、自己評価レポート? 的な用紙に並んでいた項目が、まさにこれだった。これらの項目が上司からも高いと評価され、それに足る成績を出していれば、昇給へ繋がる、という仕組みだったはず。

 ところがどっこい。このような定義があって、たとえ会社で採用されていたとしても、ぶっちゃけ、意味が多すぎて伝わらないのではないかと思う。僕も実際、上司から叱責を受けるとき、よくこう言われていました。

 

「社会人としての自覚を持て!」
「社会人なんだからそのくらいできて当たり前だろう!」
「それでもお前は社会人か!」

 

 明らかに自分でも分かるミスをやらかしていたのであれば、責が自分にあるのであれば、素直に「次は気をつけます」と反省し、改めることもできる。

 けれど、怒られるたび、枕詞のように「社会人がどうのこうの〜〜」と突っ込まれていては、自分の何が悪いのか、相手が何が言いたいのか分からなくなるのです。

 困るのは、何の脈絡もなく、「社会人らしい行動を心掛けるようにな」と助言・叱責された場合。すみませんが、全く何の具体性もないので、ぜんぜん伝わらないっすよ……。

 

その人、その企業、その社会にとっての「あるべき姿」

 思うに、誰かが他の人に語る「社会人」って、「俺(or企業or社会)にとっての理想通りに動いてくれる人」のことであるように見える。

  •  大学から見た、理想の就活生。
  • 人事から見た、理想の新入社員候補。
  • 上司から見た、理想の部下。
  • 企業から見た、理想の社員。
  • 社会から見た、理想の労働者。

 誰もが別々の、 “ぼくのかんがえたさいきょーのしゃかいじん” を周囲に求めようとするため、「社会人」がゲシュタルト崩壊しそうな勢いすらある。“しゃかい”って、なんだっけ……。

 考えてみれば、そもそも「社会」という言葉だって、その時々と場所によって、指し示す対象が違うもの。日本社会、地域社会、家族社会、エトセトラ。それぞれの「社会」が意味するものが違うのであれば、そりゃあ「社会人」の示す人間も変わってきますよね。

 

 それならば、特に企業への帰属を求められがちだと考えられる、会社に勤める「社会人」のことは、「会社人」とか「企業人」と言い換えてもいいんじゃないかと思う。

 会社員に求められる “社会人らしさ” を指摘するには、「社会」という単語には含まれる範囲が広すぎる。もしそれが、「会社社会人」の略だと言うのなら、まだ納得はいくけれど。

 便利だし、なんとなく伝わってるっぽいから、自然と使ってしまう、「社会人」という言葉。けれど、もし自分でもその具体的な意味を説明できないのなら、相手に伝わっているはずもなく。自分なりに、「社会人」の定義を再確認、整理することを試みてもいいのではないでしょうか。

 

 

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