ぐるりみち。

日々日々、めぐって、遠まわり。

外部記憶装置、意思表明の場としてのブログ

 

 読みました。少し思うところがあったので、僕が「ブログ」に関して考えることをつらつらと。数ヶ月に1回くらいのペースで似たようなことを書いているような気もしますが、とりあえず。

 

世にあるブログの大半は「個人の日記」でしかない

 前提として、様々なジャンルや方向性の違いはあれど、ネット上にあまた存在する「ブログ」の大半は「個人の日記」でしかない、と僕は考えています。

 

 

 こちらの記事でちょろっと書いていますが、「ブログ」の語源と使われ方を辿れば「日記」や「日常」といったワードに辿り着くし、世間的な認識もそんなもんなんじゃないかと思う。書いている人、各々に目的意識があったりなかったりするとは思うけれど、広い目で見れば。

 

 「個人の日記」であるということは、無関係な他人にとっては言わば「どーでもいい」もの。知らない人の日常なんざ知ったこっちゃないし、時事問題についてどう考えていようが関係ない。

 けれど、他方ではそんな「どーでもいい」ブログに期待している人も少なからず存在するわけで。それは、ブログの読み手に限らず、書き手も同様に。

 

 読み手にとっての「期待」は、「良質な情報を得たい」「おもしろい文章を読みたい」という欲求。注目されている、話題になっている記事を読みに行ったら、逆に自分の望むような内容でなくてがっかりしたり、その人にとっては当たり前の既知の情報で呆れたり、ということも。

 ブックマークコメントや、Twitterのツッコミで散見されますね。「なんで当たり前のこと書いてるの?」とか「どうしてこんなクソエントリが人気なんだ……」という辛辣な言葉も、「個人の日記」としてのブログも含めた、ネット上の情報に期待していることの裏返しかと。

 

 他方では、ブログの書き手にも、「なにか」に期待している人は少なくない印象があります。 広告収入に寄るお小遣いを期待したり、他のブロガーさんとの交流を求めていたり。

 それが明確な目的意識でなくとも、ブログを書くことによる反応や成果といった「結果」を期待している人はいるんじゃないかしら。何かあるかも、という「期待」は、ブログを続けるモチベーションにもなりますしね。

 

 そんな「個人の日記」に過ぎない(と僕は考えている)ブログに「意味」を求めるか否か。求めるとすれば、それは目に見えて形のある、残るものであった方がいいのだろうけれど、決してそうである必要もないんじゃないかとも思う。

 

「自分」を記録・整理する外部装置

 

 冒頭のいぬじん(id:inujin)さんの記事で紹介されている、カクタニ ヒロマサ(id:xKxAxKx)さんのエントリ。ブログを書き続けることの「意味」とは何だろう、という話かと思いますが、やはりそれは人それぞれ、様々にあったり、なかったりするのではないでしょうか。

 

 僕自身も同じように、たまに考えこむことがあります。書き続けていても反応がないし、アクセス数が全く振るわないし、そもそも読んでくれている人がいるのかも怪しい。ぶっちゃけ、そんなに時間を浪費して続けて、意味あるの?と。

 考え方はいろいろあるだろうし、そんな無理に続けるものでもないと思う。ただ、自分に関して言えば、文字通り「ログ」としての存在意義を求めているため、それが続ける動機付けになっているように感じます。

 

 日常生活で考えたことも、ニュースや時事問題で感じたことも、他のブロガーさんの記事を読んで思ったことも、本を読んでの感想も、全てまとめて記録しておく場所。

 でも、ただの「思考の掃き溜め」となっては意味がないし、吐き出して終わり!になっちゃいそうなので、一応は体裁を整えて、他人も読めて、自分も後で読み返せるような形にしているつもり。で、誰か一人かでも反応・ツッコミが返ってくれば儲けモンでっせ。

 

 そこそこ付き合いの長いネット友達に言わせれば、僕のブログはこんな印象らしい。

「けいろーのブログって読むとおもろい視点だなーと思うし、納得できることもあるんだけど、ぶっちゃけ、ほとんどが堂々巡りの、どうでもいいことだよなww」

 

 まったくだ!自分でもその通りだと思う。ただ、そんな「どーでもいい」ことだったり、普段の生活では「当たり前」すぎて話さないことを、あえて文字にするのがブログだとも考えています。

 

 当たり前ゆえに無意識に決めつけてしまっているものを、「意識」して取り出してみる。日々の生活に忙殺されて、脳のハードディスクの中に適当にポンポンと投げ込まれている知識やら経験やら思考やらを、「ブログ」という外部記憶装置へと書き出して整理する作業。

 それを(一応は)体裁を整えた格好で、パブリックに公開しておけば、もしかしたらどこかの誰かが一緒になって編集してくれるかもしれない。時にはきっつい言葉を投げられるかもしれないけれど、自分にはない別視点からのツッコミは参考になることの方が多い。

 

 そういうことを考えると、いぬじん(id:inujin)さんの語り口は納得できるし、ものすごく共感のできる内容でした。ブログ、たのしい。

大事なことはそういう弱さも含めて自分を「語ること」であり、そして周りの言葉を「聞くこと」であり、時には言い合いになりながらも、自分一人では出せなかった新しい答えや仮説や未来を「作ること」なんだと思う。

 

意思表明をすれば「なにか」が起こるかも

 カクタニさんは、リアルで繋がることには懐疑的なようですし、必要以上の馴れ合いは危険ですよ、という旨の記事を書いておられます。同感です。特に、極度な馴れ合いはコミュニティの閉鎖性に繋がると思うので、バランスを保ちたいところ。 

 ただ、ブログを書き続ける明確な「意味」を見出そうとするのであれば、PV数や収益やネットでの関わり以上に、リアルで会って話すことの実感に勝るものはないんじゃないか、と最近思うようになりました。現実の体験のもたらす生々しさはすごい。怖いけど。

 

 僕はかなりの人見知りな性格、話下手、自信なし夫くんという残念具合も手伝って、ブログ繋がりの関係をリアルにも持ち込むことについてはずっと消極的でした。しかし、「ええいままよ!」と試しに突っ込んでみたら、「ブログすげえ」と実感を得られたのも事実。

 

 最初は、とある会社の方に誘われて、ビクビクしながら遊びに行かせていただいたこと。自分のブログについてあれこれ突っ込んでもらったり、軽く人生相談に乗っていただいたりと、楽しい時間を過ごすことができました。 

 次は、ブログに連絡先を載せ始めてしばらくした頃にメールをいただき、とあるブロガーさんとお茶を飲みながらお話したこと。正直、僕からはあまり身のあるお話ができず、気を遣わせてしまった格好ですが、「僕も頑張らねば!」と刺激をいただきました。

 そして先日、書いた記事を読んで連絡をもらって、これまで全く関わりのなかった別世界で活躍されている方とお話をする機会をいただいたこと。多方面で経験豊富な社会人の先輩から、具体的な助言をいただいて、軽く価値観を変えられるような経験となりました。勉強せねば。

 

 そのようなこともあって、やっぱりブログすげえ、と思うと同時に、自ら動こうとすれば、いくらでも「意味」や「楽しさ」を見つけられるものなんじゃないか、と思うようになりました。受け身じゃなくて、攻めのスタンスで。僕にはまだハードルが高いですが。

 

 そのひとつのきっかけとなった記事は、ぐだぐだしている自分への戒めというか、「そろそろ焦らんかい!考えろ!動け!」的な突っ込み、意思表明として書いた、自己完結型のエントリのつもりでした。助言欲しいなーくれないかなー(チラッチラッ)的な思惑もありましたが。

 それが、まさか様々な助言や叱責をいただけたり、思わぬ出会いに結びついたりと、我ながら驚きの体験となりました。それを鑑みると、自分語りの場としての「個人の日記」でも、何がもたらされるか分からない。続ける価値のあるものなんじゃないでしょうか。

 

 大前提としては、自分の思考の整理場所。外部記憶装置としての役割が、僕がブログに求めているもの。でも、それだけでなく、外へ向かって意思表明をすることによって、得られる別の視点や出会いもあるかもしれない、今はそう思います。

 

 もちろん、ブログの使い方や、そこに見出す「意味」は人それぞれかと。ネットの繋がりをリアルに持ち出せば面倒なこともあるかもしれないし、幻滅されてもおかしくない。今のところ、100%幻滅されているような気ががががが。

 それでも、いろいろと試してみるのは楽しいし、一度くらいは「外」と関わりを持ってみるのも悪くはないんじゃないでしょうか。僕はご覧の通り、無職なうな自称コミュ障ですが、誘われれば、基本的にはホイホイついていきます。構ってちゃんなので。

  

思考の整理学 (ちくま文庫)

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