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「思考停止」のポイント〜自分で考え、“揺らぎ”続ける

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 「思考停止」という言葉がある。ビジネス書や自己啓発書で目にすることが多く、一方では“意識高い系”と揶揄されがちな印象も受ける言葉。このブログでも、主に“ことば”カテゴリーの記事でよく使っている言い回しです。

 

 僕がいつからこの言葉を使い始めたかは覚えていない。中学生くらいの時にはもう使っていたような気もするし、高校で読んだビジネス書に感化されたのかもしれない。

 いずれにせよ、自分に言い聞かせるように使い続けてきた言葉だ。自分が流されていると感じた時には脳裏に思い浮かべ、考えることを放棄しないよう、呪文のように唱えてきた。スリザリンは嫌だスリザリンは嫌だ……。果たして効果があったかは、怪しいところだけど。

 

 ただ「思考停止するな」と言っても、「どこまでそれを考え続けるか」というのは難しい問題だと思う。物事や自分の選択について考えるとき、多くの場合は、最終的に「結論を出す」ことを求められる。決めること。信じること。

 どこで思考を止めるか。止めてしまってもいいのか。本当にそれで納得できるのか。考え始めたらキリがないようにも思いますが、そんな「思考停止のポイント」について再度、考えてみようと思います。

 

 

「思考停止」を言い換えると……?

 「思考停止」という言葉は、まるでそれがとても悪いものであるかのような扱いをたびたび受ける。「安易に決めるのはよせ」「短絡的すぎる」「脊髄反射に気をつけろ」「“とりあえず”で動くのはアホ」などなど、全て「思考停止」の別表現であると言える。

 

 その最たるものが、「レッテル貼り」だ。「ゆとり世代は意欲に乏しい」「都会人は人間関係にドライ」「オタクは犯罪者予備軍」など。その全てが、「A型は真面目」「AB型は天才肌」といった血液型占いと同様、何の根拠も論理もない、決めつけに過ぎない。

 

 なぜ、人はなんでもかんでもカテゴライズし、レッテルをぺたぺた貼りたがるのかと言えば、そうしてしまえば分かりやすいし、楽だからだろう。

 アニメが好きな人、一人一人の特性・性格を見て判断するよりは、「オタクはキモい!」と決めつけてしまう方が楽。田舎の学生と実際に触れ合うよりは、「田舎の若者は横暴で反社会的!」と定義してしまう方が分かりやすい。

 

 ちょっと方向性は違うが、「とりあえずビール」も類似の考え方であり、一種の思考停止かと。それが当たり前と考えている人からすれば、他のドリンクを注文するなんて選択肢はない。

 ゆえに、別途注文しようとすると驚き、「これだから最近の若者は……」と言い出す。面倒だから。価値観の違いを受け入れられず、「自分が正しく、他は間違っている」と決めつけてしまう心情。それもまた「思考停止」であり、一度ループにハマると抜け出し辛い。

 

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「人それぞれ」は大前提。その上で、どのように考えていくか。

 

「思考停止」と決めつける「思考停止」という無限ループ

 「思考停止」に関する話をしていると、「でも、その考え方自体、『こうだ!』と決めつけてるわけだし、『思考停止』なんじゃないの?」と突っ込まれることがある。実際、それは否めない。

 

 「思考停止しない」ということは、「決定せず、曖昧なままで考え続ける」状態のことだ。

 そのため、“〜だ”、“〜である”といった断定表現を使ってしまうと、そこを突っ込まれてしまいがち。それを避けようとすれば常に、“〜だと思う”、“〜かもしれない”といった推定表現を使うしかない…と思う。

 

 「思考停止。ダメ。ゼッタイ。」と言ってしまえば、「思考停止がダメなことであると決めつけてしまう思考停止に陥っている」ことになる。無限ループ。

 同じく、「◯◯教徒の人は思考停止している」「特定の主義主張を持っている人は思考停止している」という批判も、思考停止という「レッテル貼り」をしていることに他ならない。だからこそ、「思考停止」という言葉を使って何かを批判するときは、十二分に気をつける必要がある。

 

「思考停止のポイント」を考える

 要するに「思考停止」とは、物事に「決断を下す」ことであり、ある人や主義主張を「信じる」ことであり、それまでに考えていたことに折り合いをつけることだ(全く思考しない、直感的な判断でも同様)。

 

 この、“思考停止する=結論を出す”、という行為について、山田ズーニーさん(@zoonieyamada)はこんな説明をしています。

 

自分の頭でものを考えるとは、
常に「揺らぎ」続けることでもある。
絶対というものを持たず、不安定なまま、
自分の内面、まわりの人間や状況に応じて、
その場、できる限りの
ベストな判断をしていこうとすることだ。

ところが、これは、なかなかしんどい作業だ。
だから、
揺らぎを止めて、ゆるぎないものに
どかん! と腰を下ろしたくなる。
それが「思考停止のポイント」だ。

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

 

 ズーニーさんによれば、どんな人にも、各々の「思考停止のポイント」があるのだと言う。「あの人が言っているから信じられる」「自分の経験から考慮すればこうだろう」「データが揃っているし間違いない」など、その人の中でいつも「根拠」となる判断基準のこと。

 

 一度、その基準がどこなのかセルフチェックしてみることで、「考える」力が養われるのではないだろうか、という。上記の記事でも挙げられているし、僕も過去に記事を書いているが、自分の「口癖」を見直してみるのは、ひとつの手だと思う。

 

 人やモノを褒めるとき、いつも「すごい」と言ってしまうのであれば、それが思考停止ポイント。「すごい」で止まってしまっているので、それがどうすごいのか、何が魅力に感じたのか、他と比較しての意見なのか、といった「思考」に至っておらず、停滞してしまっている。

 そこで止まらないためには、単純にボキャブラリーを増やすのもひとつの手だが、何より自分の頭で考えるのが効果的なトレーニングとなる。具体的に「すごい」部分を抜き出し、その「すごさ」を自分の言葉で説明し、可能なら他と比較検討する。そうすることで、思考は自然と広まっていく。

 

 このように、自分にとっての「思考停止ポイント」を見直し、そこで止まらないための対策を考える。先の引用は「小論文教室」からのものなので、そうすることで、自分自身の意見を広める思考力の特訓となるのではないかしら。

 

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荒川弘『銀の匙 Silver Spoon』(小学館)2巻 第10話より

 

“揺らぎ”続けるための「暫定評価」

 とは言え、決めてしまえば楽な分、常に曖昧なまま、グレーゾーンの中で考え、“揺らぎ”続けるのは、非常にかったるい。

 周囲から見ても、「どっちだよ!」「コウモリかよ!」と突っ込みたくなる気持ちはよく分かる。いつも曖昧な、自分の意思を感じられない人は、見ていてもどかしい。

 

 「これはこうだ!」と決めつけるレッテル貼り。……と言えば聞こえは悪いけれど、言い換えれば、「あるものに対して自分なりの基準を設ける」ことでもある。それは、多くの人が日常的に、当たり前に、無意識にこなしている作業であり、時にはリスクの回避にも役立っている。

 

 例えば、地方住まいの人が「都会人は人間関係にドライ」という基準を持って上京したとする。

 実際、住むことになったアパートで住人間の交流がなければ、「こんなもんかー」と納得できるだろう。しかし、逆に住人同士のコミュニケーションが盛んであれば、「意外と良い雰囲気じゃん」と好印象を抱くかもしれない。落としてから上げる形。

 

 極度な思い込みやレッテル貼りはよろしくないと思うけれど、「もしかしたらこうかもしれない」と低めの評価を見積もっておくことで、悪印象を回避するのはひとつの手だと思う。

 「こうだ!」と決めつけるのはやり過ぎだとしても、「こんな感じかな?」と予想を立てるくらいであれば、後に自己評価の修正がききやすい。物事に「絶対」はないのだと仮定すれば、違っていたとしても「そーなのかー」などと、裏切られたときのダメージも軽く済む。

 

 生活する上で、「思考停止するな」というのは無茶な考え方なのかもしれない。小さなことから大きなことまで、僕らは常日頃から「決断」の積み重ねの中で生きている。安易な決定を繰り返すことは思考の鈍化に繋がるかもしれないが、だからと言って、何も決めずにはいられない。

 

 その折衷案として、僕は「暫定評価」の考え方を提案したい。是か非か、正義か悪か、信者やアンチか、といった極端な二元論ではなく、こっち“だろう”、こう“かもしれない”と、自分の中で暫定的に評価する見方。

 多くの人は自然とやっていることなのかもしれないけれど、ネットでの感情的な発言などを見ていると、「これは間違いない!」と視野狭窄に陥っている人は少なからずいるように感じるので。

 

 白か黒かの中間で、常に“揺らぎ”続けることは難しい。ならば、その“揺らぎ”の振れ幅を考えて、その時点ではどちらに大きく振れているかを基準とし、「暫定評価」として自分の主張とする。

 もちろん、そこに落ち着き、納得してしまっては、すぐに「思考停止」に至ってしまう。そうならないためには、その後も“揺らぎ”を止めることはせず、折にふれては「考える」ことを意識し、“揺らぎ”続けること。バランスをうまくとりつつも、自身に問い続けていく作業が求められる。

 

絶対ということがない状況の中で、
私たちは、その時々に何かを「決め」なくてはいけない。
本来揺らぎ、これからも揺らぎ続けるものを
決断するわけだから、何かを決めた瞬間、
残る「揺らぎ」は自分で引き受けなければいけない。

そこに責任が生じる。
責任を持つと、常にこれでよかったか、
問い続けていくから、その人の思考は鈍化しない。

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

 

 「自己責任」という言葉は好きじゃないけれど、自分を戒める意味での「責任」は、やっぱり必要だと思います。

 

 

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参考:

 ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

 思考停止とは - ニコニコ大百科

 思考停止とは - はてなキーワード

 

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