「若者の○○離れ」はいつまで叫ばれ続けるのか


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“若者の居酒屋離れ” 「とりあえずビール」が通用しない時代に - SankeiBiz

 

 「若者の◯◯離れ」に「◯◯世代」。テンプレ表現が山盛りでござる。

 

 2000年代から何度も何度も繰り返し語られ続けて、そろそろ飽きてこないのかなーと思うのですが。やっぱり、この手の世代論はアクセスが稼げるんですかねー。

 

マスメディアの言う「若者」って誰?

 冒頭の記事のように、「最近の若者」の特徴が話題として挙げられることは、ネットニュースに限ったものではありません。テレビや新聞、週刊誌などでもたびたび取り上げられ、その“異質”さを特徴付け、論じる内容が多いように感じます。

 この手の話を聞いて、一応は20代の〈若者〉である僕がいつも思うのが、「この〈若者〉って、誰のことなんです?」ということ。どうも、語られる〈若者〉像と、言葉の使い方に違和感があります。

 

 もちろん、記事の筆者からすれば、そこで論じているのは「現代の若者」の特徴だ、と仰るかと。

 冒頭の記事でも具体例として、大学生約100名を対象とした調査を行なっている模様。なるほど、確かにそこで語られているのは、「現代の若者」の実情なのでしょう。その点に、異論はありません。

 

 しかし、「若者の◯◯離れ」をメインのテーマとして、問題提起した場合。この言い回しに含まれている〈若者〉は、一概に「現代の若者」を指しているとは言えないのでは。

 記事の筆者や、この言葉を作ったマスメディアの人たち。言わば、現代の40〜60代、あるいはそれ以上の〈大人〉たちが、当時〈若者〉だった数十年前の自分たち自身と比較して、「最近の若者は違う!」と論じているように感じます。

 

 主題は「最近の若者」かもしれないけれど、その実、「過去に若者だった俺たち」が主語になっている。過去の俺たち、要するに〈旧若者〉である自分たちと比べて、〈現若者〉にはこのような特徴があり、差異がある、としているような。

 

 そして、その構造の中に比較対象として、〈旧若者〉にとってメジャーだったもの、流行っていたものを付け加えて、その違いを際立たせている形。「◯◯離れ」の部分ですね。「車」だったり、「旅行」だったり、「居酒屋」だったり。

 そうして明確に示された差異は、読者に様々な感慨を呼び起こすものです。ノスタルジーに浸ってみたり、けしからんと罵倒してみたり、いいなーと羨んでみたり。

 

 「最近の若者」を語った記事であるように見えて、その中核にいるのは、昔〈若者〉だった〈大人〉なのでは。

 

どうして世代論は盛り上がるの?

 冒頭の記事のような話題が、今なお量産され続けるのは、それが様々な層からの反応を見込めるテーマだからだと思います。みんな大好き、世代論。

 

 “若者の居酒屋離れ”の話をすれば、まず居酒屋好きのおじちゃんたちが食いつく。そこに「とりあえずビール」なんて常套句があれば尚更。

 そして、それをけしからんとするか、飲みニケーションが少ないことを羨ましいと感じるかは、人それぞれ。でも好意的であれ否定的であれ、かつて〈若者〉だった自分自身と比較して、「昔はこうだった」と語ることができるので、非常に突っ込みやすい話題ではあります。

 

 加えて、「最近の若者」である僕らも、やっぱり食いつく。「それの何が悪いんだ」と怒ったり、「え?普通にビールで乾杯するよ?」と反論したり、「まーたおっさんがしたり顔で何か言ってるよ」と呆れたり。

 

 要するに、〈旧若者〉である〈大人〉と、現代の〈若者〉との対立構造というか、明確な違いが自然と示されているので、あらゆる世代の人にとって“突っ込みやすい”話題だと言えるように思います。

 それが何の根拠もないレッテル貼りだとしても、センセーショナルな話には食いつく人が多い。自分なりのツッコミを一言入れて、ちょろっとTwitterで呟くだけですもんね。あとは勝手に拡散される。

 

 実際のところは、定義も曖昧なままに「◯◯世代」といくつかに区分けした世代を、信用できる統計データや社会背景の比較検討もなしに、筆者の主観と身近な人間の話だけで論じただけのものに過ぎないようにも見えますが。

 話のタネとしては使えても、“血液型占い”同様、何の説得力もないんじゃ……。

 

なんでもかんでも「ネットのせい」

 〈旧若者〉たる〈大人〉たちと、僕ら〈現若者〉の違いを説明しようとするのなら、一言二言で済む話なんじゃないかしら。

 

 「時代背景の違い」もしくは「社会環境の相違」とか。

 

 もっと細分化してしっかりと調べようとするのなら、現在と過去の〈若者〉の平均年収の違いや、消費行動・消費意欲の変化、趣味や文化の差異などなどを比較して論じることもできそうではあります。かったるいのでやりませんが。

 こちらも勝手な主観で語らせていただくのであれば、「バブルとは違うのだよ!バブルとは!(※金銭感覚が)」と。自分が好きなものに関しては徹底的に散財する人がいる一方で、無駄な出費については自然と節約する癖がついている人もいることでしょうし。

 

 それと、現代の〈若者〉の特徴をなんでもかんでも「インターネットのせい」にする人が少なからずいますが、それは全くもって見当違いなんじゃないかと。

 価値観の多様化というか、ニッチなジャンルが注目されやすくなったような面はあれど、なんもかんもネットが悪い!なんてことはとてもとても。

 

 冒頭の記事で言えば、この辺り。

中高生のころから携帯電話を持ち、「ネットいじめ」を経験しているため、人間関係に敏感で、「空気を読む」ことに気をつかいます。目立つ行動をして「イタイ」と言われることが何よりも怖い。

ソーシャルメディアを意識して生活しているというのも、「さとり世代」の特徴でしょう。友人と連れだって遊びに行くときには、「このネタはどれだけ『いいね』を集められるか」が、大きな動機になります。たとえば「かわいいカフェで話題のパンケーキを食べている」は自慢できますが、「居酒屋でビールを飲んでいる」ではネタになりません。 

 

 まず、「ネットいじめ」と「空気を読む」行為の因果関係が分かりません。

 

 加えて、LINEやTwitterのある今の中高生の事情は別として、今現在で成人している(=飲酒できる)人たちにとって「ネットいじめ」がそこまで身近なものだったとは思えない。一部で「学校裏サイト」などの存在はあれど、00年代には、まだ現実空間と仮想空間の連関性が強いコミュニティは少なかったのでは?

 

 そして、ソーシャルメディア世代は「いいね!」が行動の動機になるという話。アクセス数至上主義のブロガーか!

 確かに、TwitterのRT数&ふぁぼ数で承認欲求を満たしているようなコアツイッタラーならありえる話かもしれません。でも、お酒を飲める年齢の若者が、Facebookの「いいね!」の数を動機にしているかと言われると、そうは思えないような。今のFacebookにそこまでの依存性ってあるのん?

 

 どうも、無理に〈若者〉と「ネット」を繋げているように思えてなりません。

 

「若者の◯◯離れ」はいつまで叫ばれ続けるのか

 最初に「若者の◯◯離れ」という言葉が出てきたのは、00年代の「若者の車離れ」辺りからだったと記憶しています。それからもう結構経っているにも関わらず、今でも続いているという事実を鑑みれば、もはや一種の“鉄板ネタ”と化してしまったのかしら。

 この言葉がいつまで叫ばれ続けるのかと言えば、しばらくはまだ続きそうな気はする。「若者の◯◯離れ」という言い回しが廃れた後も、また別の似たような言説が出てくるんじゃないかと。

 

 そして、20年、30年後に、僕らの世代がその時代の〈若者〉を揶揄して、同じようなことを言っていないとも限らない。

 例えば、インターネットが廃れて「若者のネット離れ」が論じられているかもしれないし、ついに肉体的に強化された新人類が続々と誕生し、リアルに「若者の人間離れ」が叫ばれている可能性だってゼロではない。

 

 〈大人〉と〈若者〉の違いを語るにしても、単にセンセーショナルに煽るだけじゃほとんど意味がないわけで。

 せっかくなら、「どうしてそのような差異がもたらされたか」「そうした変化の過程にはどのような時代背景、社会環境の変遷があったか」「その問題点、改善点は何か」などといったお話を、有識者さんからお聞きしたいところです。

 

 

参考

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