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ライター?ブロガー?僕らは潜在的に「物書き」だ

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photo by Srthnow

 こちらのまとめを読みました。「お仕事として文章を書くこと」について説明した内容となっていますが、僕は一介のブロガーに過ぎない身。なので、単純に「物を書くこと」について思ったことをつらつらと書いてみます。

 

「ライター」という存在

 そもそも「ライター」とは、どのような存在だろう。何はともあれ検索だ! とGoogle先生に尋ねてみたところ、次のようなものらしい。

文章を書くことを職業とする人。著作家。「ルポ―」「コピー―」

[補説]小説家、劇作家、随筆家、詩人、歌人、俳人など既にある語の枠にはまらない新しい文筆業に「ライター」を使うようになった。「トラベルライター」「フリーライター」など複合語が多い。

ライター【writer】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

 補説にある通り、広い意味での「文章を生業とする人」のことと言えそうだ。

 

 小説家、劇作家、随筆家、詩人、歌人、俳人と、どれもこれも、僕ら一般人からすれば遠い存在であるように思える。彼らは文章と言葉のプロであり、それ相応の技術を持っている。

 必然、ライターを志すのであれば、技術の習得が急務となってくる。言葉を巧みに操り、人を惹きつけ、「読ませる」文章を、息をするように書くことのできる文筆力。僕はライターさんの事情については全く知らないけれど、一朝一夕で会得できるようなものではないんだろう。たぶん。

 

誰もが、潜在的な「物書き」

 外から見れば、敷居が高そうなイメージのあるライター。けれど、自分が考えているよりも、僕らは意外と「物を書く」能力を身に付けているんじゃないかと思うのですよ。

 というのも、僕らは日常的に文章を書いている。ネットに親しんでいる人ならば特に。自分のブログを持っていなくても、TwitterやFacebookなどのSNSのアカウントをひとつでも利用していれば、自然と物を書く癖はついている。

 取り留めのない日常を書くにしても、それを友達に伝えようとすればわかりやすい表現や言い回しを自然と選ぶようになってくるだろうし、長文ツイートや連続ツイートをするような人も少なくない。SNS利用者の大半は、日常的に物を書いている。

 

 ネットに親しんでいない人でも、最低限の文筆力は誰しもが持っているんじゃなかろうか。小中学校の義務教育を思い出してみよう。当時書いたまとまった文章と言えば、読書感想文や卒業文集が思い浮かぶ。でもそのほかの場面でも、普段から物を書かされていた記憶があるはずだ。

 遠足や校外学習があれば「◯◯の感想」として毎回書かされ、日記や日直の仕事では1日にあったことをまとめさせられた。そのような積み重ねがあったから――とは言い切れないものの、「物を書く」技術は多くの人が身につけているものだと思う。

 絵を描いたり、楽器を奏でたりすることはできなくても、自分の考えを言葉にまとめて書き記すことはできる。それは、義務教育時代の学習の賜物じゃないかしら。

 

ライターの敷居は意外と低い

 「自分の文章でお金を稼ぐなんて無理じゃね?」と考えている人は多い。僕もそうです。目立った個性もなければ、独創性もない。一般人の自分が、他の人に価値のある文章なんて書けるはずもない……。今だって、そう思っています。

 けれど、「ライター」そのものの敷居はどんどん低くなりつつあるように思う。文筆力や関連する技術がなくとも、ちょっとした個性と独創性によって日の目を見ることとなった物書きさんは、たくさんいる。

 

 例えば、携帯小説。今や大きく取り上げられる機会は少なくなったけれど、ニッチなコンテンツとして、今もコアなファンの間では大人気だ。

 しかし他方では、「携帯小説作家の書く文章は残念だ」という読書家層からの批判もある。文法はめちゃくちゃだし、読みづらい半角カタカナ文字、顔文字の乱用など、素人目に見てもとても「文章力がある」とは映らない代物だった。

 

 けれど、それを読んで感動し、価値を見出した読者がたくさんいたからこそ、大勢のファンがつき、紙の本が出版され、実写化などのメディアミックスにも至ったわけで。

 コンテンツを生み出し、読者に感動と価値をもたらす力。それは紛れもない「技術」であり、立派なライターとしての能力だと言って間違いない。

 

なにはともあれ、ブログやろうぜ!

 小さな例で言えば、Twitterの「大喜利」だってひとつの能力だ。ちょっとした言葉遊びで人を笑わせることができる。一度だけならばそれで終わりかもしれないが、ちりも積もれば何とやら。積み上げられたコンテンツは、しばしば価値を持つようになる。

 普段から言葉遊びを続けていればファンが増え、書籍化のオファーが来るかもしれない。たとえ声がかからなくとも、今は自分で電子書籍化してみることだってできる。それである程度の収益が見込めれば、もう一端の「ライター」を名乗ってもいいんじゃないかしら。

 

 そもそも日本のTwitter人口は世界的に見ても多いらしく、日々のツイート数もとんでもない。それだけ、日本人は文字によるコミュニケーションが好きなのだと思う。……それならばせっかくだし、Twitterよりもちょっと広い場所で、例えばブログなどをやってみてもいいのでは?

 周囲を見ると、ブログに敷居の高さを感じている人も少なからずいるようだ。自由なTwitterと比べて、ブログにはなぜか大きな壁を感じてしまう。第三者目線で見ると、ブログには、「こうすべき」という形式が際立って見えるのかもしれない。

 それこそ、いわゆる「ブログ論」の話。記事タイトルはこう、見出しはこう、文章構成はこう、などなど、「ブログはかくあるべし!」という論調があちこちで見られがち。Twitterでも最低限のマナーについて語られることはあれど、あちらはまだ「なんでもあり」な印象が強い。

 

 ぶっちゃけ、ブログを始める前には、テーマを設定するだとか方針を決定するだと、更新頻度を計画立てるとか、そんなことは何も考えなくていいと思う。

 それよりもむしろ、インターネットにおける原初的な個人の「日記」のような雑多なブログが増えたら、もっと楽しくなるんじゃないかなーとすら思う。

 

 そもそもTwitterも、「ミニブログ」と呼ばれるジャンルに属するサービスだ。もしもそこで日常的に連続ツイートや長文ツイートをしているとか、物足りなさを感じ始めているとかいう人がいらっしゃるのなら、ぜひぜひブログを始めていただきたい。

 最初は、読者が集まらなくてやきもきしたり、コメントがつくようになると必要以上に読んでくれる人を意識するようになったり、アクセス数に一喜一憂したりすると思う。でもでも、そんな思考の移り変わりや、他者とのやり取り、面倒くささも含めて、「ブログ」の楽しさなんじゃなかろうか。

 

 

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