「人工知能学会の表紙は女性蔑視だ!」に思うこと


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各所で話題になっているこちらの記事。人工知能学会誌の表紙のイラストに対してさまざまな角度から突っ込まれ、各々の主張の応酬がなされているらしい。

この表紙を初めて見た自分の第一印象としては、「あら、ほんわかタッチの素敵な絵! 文学少女さんかな?」と思ったあとに、背中のコードを見て「おお……」と少し戸惑ったような格好。ジェンダーの観点でどうこう、という感想は特に思い浮かばなかった。

ところが、どうやらTwitterをはじめとするSNS上では「これはおかしい!」という突っ込み(ジェンダー問題に限らず)が巻き起こっている様子。少し興味がわいたので、Togetterにまとめられている投稿と、検索して引っかかったツイートのなから、それぞれの視点ごとに主張をまとめてみようと思う。

 

「女性蔑視だよ、男の欲望丸出しだよ」派

「学会誌の表紙としてはおかしいよ」派

「あれは『都合のいい女』じゃなくて『理想の女性』だよ」派

「性差別に鈍感な人が多すぎるよ」派

「穿った解釈をしすぎだよ」派

「コード繋がれて、自分の意思をいうこともなく、主人の言うことを聞き、家事を担う大人しくて可愛い女」…とあるけど、「本を読む」という明らかに自発的な行動を掃除中に行っている時点で思い込みなのでは。(@wa123456789)【Togetterコメント】

パシリムでイエーガーの事をマコ含め全員"she"と呼んでいたし、エヴァはEVEだけど、誰もそれを性差別とは言わなかったですよね。武器などの無機物を女性に見なす文化を「女性は恩恵を与えてくれる聖なる存在」と読み取れても、「現実の女性は男性の言う事を聞くべし」は飛躍し過ぎです。というか何で「女性は下に見られている」という前提で話を進めるのですか。(@satsumawagashi)【Togetterコメント】

「こんな解釈もあるよ」派

ロポットが家事をせよという命令に従わず(手を止め反抗的とも思える目つきでこちらを見ている)、読書をしている、という所に人工知能の自由意志を表現した寓意的な描写。命令に沿って家事をするのみの存在だったロボットが、価値判断とか、行動の選択権を得てより「人格」に近いものを獲得する、その様を人工知能のこれから向かう形と擬人化して描いている。ゆえにこの表紙。(@nek0jita)【Togetterコメント】

掃除する少女の背中に電源ケーブル刺さってるのを見て「あ、ロボットなんだ」から「何かに繋がれてるみたいでちょっとかわいそう」でも「この子はそう思ってないんだろうなそう作られてるから…」ぐらいまで見た人に想像を掻き立てるのがこの表紙の意図じゃないかなあ。人工知能のテーマに見事に沿う表現だと思う。それを無意識の女性蔑視の発露みたいに断じるのはあまりに失礼だし、人間が想像力放棄してどうすんのよと思う(@hikol)【Togetterコメント】

この表紙の一番の不幸は記号としての絵を理解していない方々の衆目に晒されてしまったことなのだろうなぁ。「ケーブル→人工物」「読書→知能」「書斎の掃除→サポート役」 ベタすぎる位にベタな設定なんだけどね。 あと、女の子なのはそりゃあ、そっちの方が表紙として華があるからでしょ。(@yuzawara)【Togetterコメント】

そのほか、興味深く感じられた突っ込み

"日本に無邪気な性差別が溢れている事で女性は子供のうちから性差別されている事が当たり前だと思って…" というのはむしろ逆で、日本は女性差別には激しく反応する割に男性差別に声を上げる人は殆どいない。性差別されて当たり前という意識を植え付けられてるのは男性の方ではないか?(@laevateinn495)【Togetterコメント】

世の中の「お人形さん」の男女比を調査することをお勧めする。ジェニー。バービー。リカちゃん。そしてお雛様。土偶。偶像のデフォルトは女性なんだから、これから作ろうとする「人に似せて作られた人でない存在」のイメージが女性型なのは自然。女性性のない攻撃的なロボットは男性として描かれる(ターミネーターとか)のが標準だが、これを女性型にしたら、それはそれでオタクキモイっていうんだろうから、差別を作りたいのはどっちなんだと。(@Clearnote_moe)【Togetterコメント】

 格好いい男のアンドロイドを作りたい、美女のガイロイドを作りたい、ロボットを作りたいという夢を、よもや否定はするまい。問題は人間に似せるロボットを作るならば男性か女性かのどちらかしかないということ。例えば女性のメイドでなくて、男性の執事が表紙であったら、今回の表紙は批判されたであろうか。男性差別だと言った人がいたであろうか。批判したい人の色眼鏡にかかれば、こんなただのイラストも批判の槍玉に上がる。(@kasena11451)【Togetterコメント】

日本の女性差別って、昔は酷かっただろうし今も根強いのも確かだけど、今は若い男性ほど「女性はこうあるべき!」的(=差別的な)外向きの思想ではなく「こういう女性がいたらいいなあ」という自己完結型(現実の女性にはそれを求めない)の思想で落ち着いてきていると思うのだけど、差別論ガチ勢の人はそういう内向きの思想すら認めない感じなのでそれはちょっと、と思う。(@g616blackheart)【Togetterコメント】

「女性に対して何らかの差別的な意識を持っているのでこのアンドロイドはこういう外見になっている」と認識してる時点で野郎どもをひっどい偏見で見てるってことはわかったな。ともすれば女性が女性らしい格好をしてる絵を描いただけで「こういうの結局性欲とか支配欲に結びつけてるんだよなぁ。これだからオタは…」としたり顔で語り出すようなインテリかぶれが世の中に氾濫し…もう既にそう言う世界だった(@MountainMace)【Togetterコメント】

気にしすぎ?理解がないのが問題?

この絵を「女性蔑視」としている人たちにとっては「そのような解釈ができてしまう」ことが問題なのであって、それはたしかに理解できる。けれど解釈なんて人の数だけ存在するわけで、何でもかんでも突っ込んでいては「表現」すらできなくなってしまう。それは結果的に自分の首をも絞めることになるんじゃないかと、まずは思った。

また、各所のコメントを読んでいて気になったのが、「意識しなければそのような解釈には気づきもしなかった」人が結構な数いたらしいことだ。

問題にしている側は「差別する意図がない」「蔑視していることに気がついてない」と言っていて、問題にしていない側は「これのどこが差別なんだ」と言っているので実は意見がかみ合っている / “人工知能学会の表紙は女性蔑視? - Toget…” http://t.co/zuR65fRVdV

— bn2 (@bn2islander) 2013, 12月 27

言うなれば、「女性蔑視だ!」という大きな声によってこのイラストが問題視されたことで、「そうとは見えない」「考えすらしなかった」と話す人たちに対して、「女性蔑視」の視点を授けた構図になっている。これは、良いことなのだろうか、悪いことなのだろうか。

そこで参照したいのが、上にもある「性差別に鈍感な人が多すぎる」という指摘。特に日本は、欧米と比べるとその傾向が強いと言われている。「問題であることを理解していない人たちに対して『そういう見方もある』と示せた」という意味では、話題になって大勢の人に注目されたのは悪くないことなのかもしれない。その是非は別問題として。

ただ、その「注目」ははたして、良い意味での「注目」なのかどうか。また、実社会で性差別に苦しんでいる人たちにとって良いものなのかどうか。それはわからない。

政治的な正しさと、解釈の激突

一個人の感想としては「気にしすぎのような……」という印象もあるものの、一方で「学会誌の表紙としてはどうなのか」という主張は理解できる。その表現によって不快感を持ったり傷ついたりする人がいるのならば、ある程度は改めたほうがいいように思う。

いわゆる、ポリティカル・コレクトネス*1の問題。上記Togetterでも、この問題について指摘しているコメントが散見されている。一言でまとめるなら、「コミュニケーションにおいては相手に不快感を与えないことが前提条件とされ、不快であると判断された表現については改める必要がある」という視点の話だ。

その観点から見れば、「学会側は政治的な正しさに欠けている」という指摘も妥当であるように感じる。しかし当然、それも行き過ぎると言葉狩りや表現の自由の毀損につながってしまうため、バランスが難しい。

また、あちらこちらで別種の切り口から取り上げられることによって解釈の衝突が起こっていることも、この件をより複雑にしているように見える。

  • 「このように解釈できるから良くない」
  • 「その解釈はおかしい、自分はこう考えた」
  • 「そもそも解釈なんて人それぞれ、気にしすぎ」
  • 「人それぞれとは言っても、このように解釈できないのが問題だ」

もしもこれが学会誌の表紙でなく、単純に「個人がネット上で公開している手描きのイラスト」を話題としていたのなら、ここまで話題にはならなかったはず。大勢がそれぞれ別の解釈を主張したところで、作者が「このように考えて描きました!」と言えば、一応はそれで決着するからだ

しかし本件は「性差別」の解釈が問題とされており、その論点もばらばらなまま整理されていない。問題意識も各々に異なるまま大勢が自分なりの主張をした結果、「議論をしようにも論点が定まっていない」という、よくわからない状態になっているように見えた。

ジェンダー問題は怖い

個人的な話になりますが、性的マイノリティであることに悩んでいる友達が身近にいるため、自分なりにジェンダー問題について知ろうとして調べたことがあります。でもどこから手をつけていいのかわからず、書店に行っても分厚い専門書ばかりが目に入って、「何を参照すればいいのかわからない」という問題に直面したことがありました。

また、その友達と話しているときや、SNSでジェンダーに関する議論がされているのを見ていても、得も言われぬ壁のようなものを感じることがしばしばあります。「あなたには話してもわからないだろうけど」「理解されようなんて思ってないから」。そんな言葉が聞こえてくるんですよね……。

SNSでこの手の話題を眺めていても、「いまだにその程度の意識の人がいるなんて」「ジェンダーに関する知識が浅すぎる」「どうしてそんな発想しかできないの?」といった、挑発的な主張を見聞きすることも珍しくありません。実際、今回の人工知能学会の件に関するコメントでも見受けられました。

もちろん、そのようなことを言うのは一部の人に過ぎないし、前述のような「性差別に対する無意識性」「日本におけるジェンダー問題の認識の甘さ」を問題として、客観的に解決策を導き出そうとする主張も見受けられます。でも同時に――もちろん自分の勉強不足の問題もあるでしょうが、それとは別に――議論をしている相手との「壁」のようなものを感じてしまうことが、結構あるんですよね。

そのようなこともあって、自分にとっての「ジェンダー論」は一時期、ある意味ではタブーなものでした。そこには、まさに今、ジェンダーの問題で悩み苦しんでいる人たちの世界があって、無関係な人間が生半可な知識で言及しようものなら、袋叩きにされそうな怖さすらあったから。

この人工知能学会の表紙イラストに関する問題の落とし所を作るとしたら、どこにあるのだろう。全体としては、もはや収拾がつかなくなっているようにも見える。けれど、自分としてはジェンダー問題に再度触れる良いきっかけとなったので、もうしばらくは考えてみようと思います。

 

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