ぐるりみち。

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善悪二元論?ちゃんちゃらおかしいぜ!

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photo by Dr Case

 

スペインの泥棒の義憤、侵入先で性的虐待画像見つけ警察通報 (CNN.co.jp)(※削除済み)

 

 こんな記事がありました。盗みに入った家で、性的虐待の様子が収められたカメラを発見した泥棒が、警察に通報したという内容。良い話と言えばそうなんだけれど、告発者も犯罪者ということもあり、「うーん?」と疑問を覚える人も少なくないだろう。

 

泥棒は、「悪い人」?

 泥棒は、言うまでもなく犯罪者だ。義賊のように、大衆から好意的に支持される存在もあるが、その時代の権力者や社会的な視点で見れば、やはり罪人であることに変わりはない。

 そのような、「悪者だけど良い奴」というキャラクターは、フィクションにおいて好まれやすくもある。「暴力的だけど正義感溢れるアウトロー」なんてものから、「世界観を支配している権力・価値観に抗い、自らの目的を果たすべく事を為す」ようなものまで。設定の規模の大小はあれど、ダークヒーロー的な要素は、割と好意的に受け止められる。

 

 繰り返すが、彼らは紛れもなく犯罪者だ。悪者だ。「社会的に見れば」という前提の下に、だが。それでも、信念や正義の名を以て事を為そうとする彼らの姿は、僕らにある種の爽快感を与えてくれる。スカッとする。

 ところが、だ。現実の僕らは、とことんまで「悪」を嫌う。悪い事をしてはいけない。人の迷惑になる行為は悪だ。犯罪者は刑に処するべし。被害に遭いたくないもんね。

 このくらいならば、まだかわいいもの。さあさ、インターネットを覗いてみよう。とんでもないっす。

 

悪は裁けと言うけれど

 インターネットという仮想空間で発信される主張を見ていると、その内容は極端なものになりがちだ。驚くほどに、全肯定or全否定に分かたれている印象が強い。あの人が言うなら間違いない。あいつが言うことは全てでたらめだ。原発がどうだ、ネトウヨがどうだ、在日がどうだ、韓国人がどうだ、エトセトラ。

 どこを見ても、極論が飛び交いすぎている。もちろん、物事の是非を検討した上での賛否の主張、議論もあるところにはあるが、全体で見れば少数派だろう。多くは、あいつが言うから~~だの、俺達に反対する奴らは~~だの、対立している相手側の主張は疎か、他の周りの話すら聞こうともしない。正直に言って、怖いっす。

 

 そもそも、ある物事の是非や、その人物の善悪を簡単に判断できるほど、僕らは賢く、経験豊かなんだろうか。そういう人だっているでしょう、ほんの一握りは。けれど、大人とは言っても、良くて大学院まで専門を学んで、上場企業に勤めているとか、その程度なんじゃないだろうか。

 そう、「その程度」なんだ。僕のようなド腐れニートに言われちゃ腹も立つでしょうが、社会的に「勝ち組」とされている人たちですら、そんなもんですよ。学生時代に学んだ専門分野、もしくは、勤めている企業や職種における経験と知識から、「それは紛れもない悪だ!」と断じることはできるかもしれない。けれど、物事はそんなに単純じゃない。

 

 そのような僕らが、善だの悪だの……と言うよりは、主に悪か。「あいつは悪だ!」と決めつけて、誹謗中傷と罵詈雑言を浴びせかけ、人格否定まで行うのはどうなんだろう、と。確たる根拠を持った上で、悪だと罵るにしても、「お前はいけない奴だ!駄目だぞ!ぷんぷん!」くらいにしてあげてください。かわいそうです。

 この、ネット上での「善悪」に関しては、僕はイケダハヤトさんの指摘が的を射ているんじゃないかと思う。

 

「間違っている」と語るとき、その人は「個人的な好き嫌い」の域を超えて、相手を「悪」として断罪しています。「あいつは間違った存在だから、許してはいけない」という排除意識、または相手を変えようとする意識が、ここには見られます。

 

(中略)

 

また、「お前は間違っている」ということばの裏には、「個人」の枠を超えて、「社会」という視点が内包されます。「お前は間違っている」と語る人は、「社会的に見たら、お前の存在は悪だ」という、超越的な視点に立っているということです。

 

たとえば「上司が嫌い」であるとき、みなさんはつい「上司はこの会社の害悪で、間違った存在だ」と断罪してしまいそうになるでしょう。

 

実は個人的な感情にすぎないかもしれないのに、それを精査することなく、無意識的に「社会(会社)」という隠れ蓑のなかから、攻撃を加えようとしてしまいます。

「好き嫌い」ではなく「善悪」を語る、ずるい人たち

 

 善悪云々じゃなくて、「好き嫌い」の感情が根っこにあるんじゃないか、というもの。特に感情が駄々漏れなサービス、2chと付随するまとめサイト――辺りは、まさにこの、「気に食わない」という理由での主張が多いんじゃないかと思う。

 むしろ、2chくらいに素直な方がまだ良いのかもしれない。その「気に食わない」に便乗して、相手を「悪」で間違っていると決めてかかって主張を振りかざす人が、一番面倒なような気も。

 ただ、犯罪者がどこまで責を負うか、というのは難しいもので。ニュースを見ていると、殺人や強姦を犯すような人間は、どうしても「善人」として見ることは適わない。「何か理由があって……」と考えることもできるが、それを判断できるほどに事情を知ることは不可能に等しいし、第一、僕らは無関係の傍観者だ。ゆえに、それを罵ることは止められない。

 

「善」と「悪」は一要素に過ぎない

 ここで、冒頭の記事に戻る。犯罪者でありながら、他人の悪事を見逃せず、リスクを冒してまで警察に通報する泥棒。あれれ?泥棒って悪者じゃないの?

 つまりは、「にんげん、いいところもあれば、わるいところもあるよね!」という、至極、単純明快、小学生でも知っていることだ。

 この泥棒が、なぜ盗みを働いているのか。貧しさゆえか、他に何かがあるのか。理由は知れないが、彼にとって、性的虐待は見過ごすことのできない、「悪」の行為だったということ。泥棒だから、人間として終わっている、倫理観のぶっ壊れた完全な悪者であるということもなく。そりゃあ良心的な部分だってありましょうよ。

 

 犯罪行為を働いた以上、もちろん罪を償うべきで、警察の方には頑張っていただきたいものだけれど。人間、良い部分も悪い部分もあるんだから。だからこそ、余程の凶悪犯罪者でない限り、裁かれた後に更生させようという取り組みがある。実際、犯罪者の更生がうまくいっているかどうか、というのはまた難しそうな問題だけど。

 

 いずれにせよ、「あいつは善で、あいつは悪!」みたいな極論はおかしいんじゃないか、と思って、こんな記事を書いてみた。

 善悪を語るにしても、人一人の本質なんて簡単に見極められるものじゃないんだから、要素要素に分けて、「ここは良いけど、ここは悪い!」というように、分けて考えた方がいいと思う。その上で、是非を問えばいいのだから。

 

極論が溢れるネットでは――

 これは蛇足だけど、極論が溢れ返っているインターネットって、うまく活用すれば、議論の良いきっかけになるんじゃないかと思う。

 賛成の主張と、反対の主張、それぞれをリストアップし、分類した上で、さらに要素ごとに分けてまとめる。そうすれば、賛成派・反対派の意見が合わせて把握できて、新たな気付きがあったり、折衷案を模索できるんじゃないかしら。

 

 実は昔からそんなことを考えてはいたのだけれど、ブログでひとつの記事、もしくは賛否ごとに記事を分けてまとめるのも見辛そうだし、新しくサイトを作るような技術はないし。NAVERまとめも、イメージ的にちょっと違う。

 既存のサービスだと、ゼゼヒヒが一番近そう。こちらはあくまで「投票」で、コメントもTwitterに合わせて短めなので、その拡大版ゼゼヒヒみたいなのがあればいいなーと。誰か作ってくれないかなー(チラッチラッ

 

 

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