ぐるりみち。

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「するべき」ではなく「するべきじゃない」を語れるようになりたい

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photo by Sean MacEntee

 ニュースサイトやブログの記事を見ていると、「◯◯するべき」というフレーズが入ったタイトルのものが散見される。例えば、「新卒入社した会社では3年間は働くべき」「20代でするべき20の経験」「とりあえずダウンロードするべきアプリ10選」といったものだ。

 これらの記事は、筆者の「おすすめ!」をまとめたもの、語ったものである。筆者自信の経験や、調査に基づいて、「いいね!」「おすすめしたい!」と感じたコンテンツや、方法論を紹介した内容だ。このような、「するべき」論について。少し思うところがあったので、書いていこうと思います。

 

先人の知恵、困ったときの説明書

 「◯◯するべき」というタイトルの記事を追ってみると、その内容は、ライフハック系、ハウツー系のものが多いように感じられた。NAVERまとめのような、キュレーションサイトでも多く見受けられる。

 それらの記事は、読者にとっては便利なものであり、為になると感じる内容になっている。情報過多時代の今日、キュレーションの価値はますます高まっている、というのが多数派の意見だろう。

 確かに、膨大な情報の中から、「役立つ」「確実な」情報を選別して、まとめてある記事はとても便利だ。時間のない中、少しの検索作業でまとめ系の記事を探し出し、その内容を参照すれば、だいたいの場合は事足りる。

 ある情報を調べようとする時、その「説明書」すらばらばらに、大量に、物によっては見方を変えたものまで溢れ返っている中で、「するべき」という「おすすめ」がまとめられた記事は、その筆者である先人の知恵と経験がつまったものであり、僕らの力となってくれる存在だ。

 

「するべき」に従った結果、消えるもの

 「するべき」論の記事の中でも、特にマスメディアや大手ニュースサイトなど、読者を意識した記事作りをしているサイトにおいては、その「するべき」が多数派の意見を反映したものであることが多いように思う。

 もちろん、突飛な論調で思いもしない気付きを与えてくれるような記事もあるが、大勢の読者を抱えているメディアにおいては、記事の傾向も多数派に沿ったものになりがちだ。

 できるだけ多くの人の共感を得られれば、読者によってそのURLが拡散され、PVも増える。そして読者が増えれば、それは「価値あるメディア」という評価を受けたも同然となるからだ。何においても、「数」は強い。

 しかし、誰もが認めるメディア、もしくは、「するべき」の記事が現れ、評価されてくると同時に、消えてしまうものが存在する。「多様性」だ。

 

まとめ系コンテンツが生み出す、大きな流れ

 「インターネットは多様性を促進する」と言われて久しい。少数派同士が繋がり、語り合い、コミュニティを形成することを可能にしたことによって、ネットにおいては、「誰もが知りうる大きな流れとしての流行」ではなく、その世界やジャンル、コミュニティごとに違った、多種多様の流行が生まれてきた。

 ところが、近頃はその多様性が薄れつつあるように感じる。昔から大手サイトの存在はあったが、いろいろな情報や価値観が飛び交っていて、大多数のユーザーが信じる「大きな流れ」のようなものはなかったように思う。もっと、混沌としていた。

 それが今では、要所要所で「◯◯するべき」という大きな流れが現れつつあり、それだけを見て、ひとつの価値観を決定付けているケースが少なくないように感じる。その代表が、いわゆる「2ch系まとめサイト」や「コピペブログ」と呼ばれるものではないだろうか。

 「するべき」を書いた記事が求められ、評価されるようになったのは、単純に情報が莫大になり過ぎた結果なのか、もしくは各マスメディアがネットの世界に馴染み、多数派の流れを作り出したことによるものなのか、はたまた情報検索を苦手とする層にまで普及したためなのか、それは分からない。

 ただ、「するべき」論を代表とする、まとめ系コンテンツの流行によって、インターネットの持つ多様性が薄れつつあるのではないか、という点は、否定しきれないと思う。

 

などとまあ、書いてきましたが、

 と、ここまではちょっと真面目に書いてきたけれど、ここからは完全に僕の感情論で。「するべき」論の記事の中でも、何らかのコンテンツを「おすすめ」する記事なら無問題、というか、むしろみんなどんどん書いていくべきだと思う。

 小説、漫画、アニメ、映画、ドラマ、音楽、その他諸々のコンテンツ。もしくは、グルメ、家具、雑貨、旅行、などなどの商品。まとめれば、「消費系コンテンツ」ってことになるのかな。

 要は、自分の「好きなもの」のおすすめ。「この映画おもしろかったよー!ぜひ観るべき!」「旅行してきた!すげえ楽しかった!飯もうめえ!」「デュフフww今期はこの作品がオススメですぞwww」みたいな。

 

 要注意なのは、価値観に関するもの。冒頭の例で言えば、「新卒入社した会社では3年間は働くべき」、これ。それが正しいと信じきった結果、身体をぶっ壊して…なんてことになったら、目も当てられない。

 もちろん、働き方云々の記事に限らない。自己啓発系全般は当てはまるだろうし、男女の恋愛術のようなものもそうだろう。

 このような、形のない、人の「価値観」に焦点を当てた「するべき」論には、ちょっと穿った見方でかかった方がいいのかもしれない。あくまでも、参考にする程度。読んだら、別の視点、別の価値観の記事も合わせて読む感じで。

 なんというか、価値観の「するべき」論を書いた記事全般に、どうしても胡散臭さを感じてしまうのですよ。「うーん、分からなくはないけど、それってそう言い切れるの?」と。僕がひねくれた人間なだけなのかもしれないけれど、一歩でも二歩でも、距離を置いて物事を見るのは間違っていないと思う。多分。

 

 などと言っても、今、僕が書いているこの記事ですら、そのような見方で見れば、「するべき」論なのかもしれない。「するべき」とは書いていないけれど。

 僕はそもそも自信のない人間なので、これまでの記事でも、価値観について「するべき」と書いたことはない…はず。おそらく、「~~だと思う」「~~じゃないかな」っていう表現になっている。

 

 だから、僕は、

 

「するべきじゃない」を語れるようになりたい

 ということ。「するべき」に感じる胡散臭さを排除して、かつ誰かの為になるものを書こうとするなら、こんな表現になると思う。

 「するべき」という言葉で方法や考え方を縛るんじゃなくて、「するべきじゃない」という言い方で、してはいけないことを指摘する。消去法ですな。

 

 「するべき」論は、予め道が提示されていて分かりやすい。けれど、みんながそれを選択すれば、多様性は失われてしまうし、何かイレギュラーが起こった時に、別の道に移動することも難しい。

 その点、「するべきじゃない」論で行けば、自ら選択する要素が多分に残されている。その道中で、先人が「失敗したこと」を回避することもできるかもしれない。

 

 ネットの記事でも、書店の本でも、「するべき」話はいくらでも見つけられる。だけど、僕らが本当に知りたいのは、成功者の体験じゃなくて、失敗者の経験なんじゃないだろうか。

 成功者がやったことを真似するのではなく、失敗者のミスを回避すること。先人と全く同じ行動をなぞって、成功を収めるなんて難しすぎる。それならば、失敗した人の教訓を生かして、自分なりに立ち向かっていく方が良いと思う。

 

 だからこそ、失敗した人は、「あーあ、やっちまった、俺はなんてダメな奴なんだ…」と凹むんじゃなくて、「あー!やらかしたー!お前らは気をつけろよー!はっはっは!」と前向きに情報発信する方が、自身の整理にもなり、誰かの役にも立つ可能性があり、良い事づくめだと思います!

 「へっへっへ、お嬢ちゃん…恥ずかしいもん全部さらけ出しちまえよぉ…」とは言わないけれど、世の中はもっと「失敗」で溢れかえってもいいはずだ。特に、相手の見えないネットでは。自己啓発本や成功体験を読んで夢を見るのもいいが、そればっかじゃ疲れちゃうでしょう。つまり、アレですよ。

 

 みんな、ブログ、書こうぜ!(完)

 

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