ゆとり世代の僕が「ゆとり」について思うこと


「ゆとり世代」と呼ばれる僕ら。

数年前にその第1世代が就職して働き始めたことがきっかけとなったのか、最近になってまたこの言葉をよく耳にするようになった。書店では「ゆとり社員の扱い方・育て方」のような本も見かけるようになり、しかもそこそこ売れているらしい。

この、「ゆとり」という便利な言葉。ゆとり教育を受けてきた人間として、20歳も過ぎるといろいろと思うところがあるので、思いつくまま書いていこうと思います。

 

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あまりに便利な「ゆとり」という言葉

「ゆとり」という言葉は、あまりにも便利だ。便利すぎる。

どのくらい便利かと言えば、小学生が他人を否定するのに「ばーかばーか!」と無駄に乱用するのを覚え、大人になって語彙が増えても「バッカじゃねーの」と昔と変わらず使い続けられるくらい。そのくらい汎用性の高い、「若者批判のテンプレ語」となっているような印象が強い。

上の世代が使う「ゆとり」という言葉は、往々にして否定的な意味を含んでいる。彼らが若者を批判するとき、二言目には「これだからゆとりは」「ゆとりだし仕方ない」「ゆとり乙」などなど、まるで決まり文句であるかのような使われっぷり。

「最近の若者はうんたらかんたら」といった批判は好きじゃない(気分の良いものじゃないし、安易で広範すぎるカテゴライズ)。具体的な内容のある批判として「ゆとり教育の弊害云々」などと使われるならば、まだわかる。でも、何の意味もなく「よう、ゆとり(´,_ゝ`)プッ」とバカにされるのは……なんだかねえ。

 

実際、「ゆとり世代」の特徴ってあるんです?

例えば、ゆとり世代について、こんな特徴をまとめている企業があった。

 

  1. 自ら考え、行動することが苦手
  2. 自分が好きなことをやりたい願望が強い
  3. 自己成長への強い焦燥感を持つ

「ゆとり世代」と呼ばれる新人・新入社員。彼らの特徴を紹介。

 

──言われてみれば、「あ! 確かにそうかも!」と思える、思えちゃう特徴だ。事実、僕個人に関して言えばすべて当てはまると思う。咄嗟には動けないし、好きなことはやりたいし、成長意欲はある。

 

……が、待ってほしい。

これは本当に、「ゆとり世代」の人間の大多数が持っている特徴なの?

 

思うに、「ゆとり世代の特徴」とは、かの有名な「血液型性格診断」とまったく同じ論法なんじゃないだろうか。つまり「多くの人が自分に当てはまると感じるような特徴」を挙げることで、それがその分類固有の特徴であるように錯覚しているだけ。

血液型がA型の人に「これはあなたの特徴です」と言って、実は「B型の特徴」とされているものを見せても、「当たってるー! あるあるー!」という反応ができちゃうのと同じ*1。心理的マジック。

もうひとつ、以下のような例もありました。

 

  1. 実はかなりケチ。
  2. 「リスク」は嫌い
  3. 自然が好き
  4. ムードに弱い

 

──うん、これも僕は全部当てはまる。女の子と2人で食事に行っても奢りはしないし、ハイリスクハイリータンよりもローリスクを選ぶし、ノリで四国最西端まで足を伸ばして海を見てくるくらいだし、良い雰囲気になったらキュンキュンしちゃうし。

ところがどっこい。

感の良い人はもうお気づきかと思いますが、こちら、団塊の世代の特徴*2らしいです。僕は団塊じゃないよ! ぴっちぴちのゆとりだよ! ──でも、全部当てはまるとも思うのです。

つまりは、そういうこと。

議論のすべてがそうだとは言わないけれど、「ゆとり世代の特徴」として挙げられるものは根拠のない、荒唐無稽なものが多いように映る。ついでに「ゆとり世代批判」の一部に関しても、遥か昔から繰り返されてきた「最近の若者は──」論と同じものなんじゃなかろうか。

 

ゆとり世代が使う「ゆとり」

ゆとり世代ではない世代の人が僕らについて語るとき、「ゆとり」という言葉は非常に便利だ。でもその一方で、僕らゆとり世代の人間の中でも、この言葉はマジックワードとして使われてきた。

だって、便利なんだもの。

それに、成長する過程でずーーーーっと、大人たちから繰り返し繰り返し言われ続けてきた言葉ですし。冒頭の記事にもあるように、そりゃあ「ああ、そうか。僕らはどうしようもないゆとりなんだ」と思うようにもなりますよ。

おそらく、そこには諦めと自嘲の感情がある。「だってゆとりだもん」「ゆとりだし仕方ない」「ゆとりですけど、なにか?」などなど、僕ら言われる側は言われる側で、批判されるたびに思考停止しちゃってる感じは否めない。これはこれで問題だと思う。

ゆとり世代の自分が言うのもなんだけど(という前置きも良くないのかな)、子供の頃から「ゆとり世代」としてレッテルを貼られ、あれこれ言われ続ければ、自信が持てなくなるのもある程度は仕方ないのかもしれない(いうかむしろ、これがゆとり世代の特徴になるのかしら)

でもでも、それじゃあ進歩がないんだよね。「ゆとり」というカテゴライズは、僕らにある種の安心感ももたらしているのかもしれない。けれど、そこに甘んじて自嘲し続けるのもよろしくない。「おれはおれだー!」と言えるくらいの気概が欲しいところ。

そういえば、ゆとり世代の特徴のひとつに「個人主義」なんてのもあったような(笑)

 

ネットスラングとしての「ゆとり」

さすがに最近は目にすることもなくなってきたように思うけれど、いまだに某掲示板とそのまとめサイト、他には某動画サイトあたりで散見される「ゆとり」という蔑称

ネットスラングなんて大半がマジックワードである気がするから、あえて突っ込むのも野暮なのかな……とは思うけれど。中身のない無意味な批判──というか、批判ですらない言説については、自然と消えていくことを祈ります。

 

もはや「ゆとり教育」なんて関係ない

結局のところ巷で語られている「ゆとり」って、言う側も言われる側も、若者全般のことを言っているのであって、もはや「ゆとり教育」がどうのこうのはどうでもよくなってきているようにも感じた。

単純に若者世代をまとめて括って分類するのに便利であり、わかりやすく響きが良いから、なんとなく「ゆとり世代」って呼んでいるだけなんじゃないかと。その証拠に「さとり世代」なんて、また変なレッテルが広まりつつあるようだし。

ならもう、「ゆとり」なんて言わずに「最近の若者」でいいじゃないか*3。僕らも「ゆとり世代の僕ら」じゃなくて、ただの「僕ら」。カテゴライズするなら、平成生まれとか昭和生まれとか、その程度でいいと思う。

それこそ、僕らには「ゆとり」が足りないんじゃないかと。「最近の若者はああだー」だの「僕ら若者はどうせくそだー」だの、批判したり自虐したりしているんじゃなくて、ゆとりを持って「じゃあどうすりゃいいんだべ」ってことを考えよう。そのほうが、よっぽど生産的だと感じるのです。

 

「ゆとり」は持つもの。

 

 

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*1:実際は、血液型診断はテンプレが確立されすぎていて、そんな反応がくるか怪しいかも

*2:提言論文 「団塊の世代」の五つの特徴(2006年)より、5つ目は妻がいないので省略させてもらいました

*3:でも、それはそれで、一緒くたにするのはどうなんだろう