ぐるりみち。

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「経験」と「変化」の先へ

 東日本大震災から2年。

 日本に住む多くの人の生活や価値観が変わって、それでも今、普通に生活ができている僕は恵まれているんだろう。当時は就活中だった自分も、そろそろ社会人となって1年になる。

 

 地震発生時、僕は一人で家にいた。その日は就職説明会も面接の予定もなく、普段と変わらず、ぽけーっとネットサーフィンをしていた。最初に揺れを感じたときも、「あー地震だー」くらいの感覚で、Twitterに書き込む余裕もあったくらい。

 ところが、揺れは収まるどころか次第に大きくなっていき、部屋の家具が音を立て始めた頃に「これはやばい」と気付いて、慌てて机の下へ潜り込んだ。実際はそこまで長くなかったはずだが、あれほど大きく、長く感じた地震はそれまでになかった。

 

 ようやく揺れが収まり、そのままだったTwitterのタイムラインを見ると、リツイートされた地震速報のアカウントがいくつか目に映った。それらが示すのは、どれも想定外の巨大地震による「非常事態」の模様。フォロワーもみんな混乱している。

 まずは正確な情報を、と思い、リビングに移動してテレビの電源を入れた。どのチャンネルもまだ混乱と情報確認の最中だったが、どうやら東北を震源とした巨大地震らしい。

 

 それからは、テレビで流れる情報と、Twitterのタイムラインに現れる情報を同時に確認しながら、とにかく今、何が起きているのかを知ろうとするのに必死だった。家族とは連絡が取れないし、何かしていないと不安で仕方なかった。

 いくら大きな地震だったとは言え、そこは地震大国の日本。正直言って、そこまで大した被害は出てないんじゃないか、なんて気楽なことも考えていた。が、NHKが映す津波の映像を観て呆然とした。

 家も、木も、車も何もかもを巻き込みながら猛然と陸地を駆け上がる波。倒壊し、燃え上がった家屋が流され、道路を走っている車も容赦なく吸い込んで広がっていく様子は、とても現実のものには見えなかった。映画かと。作り物かと。

 あまりに衝撃的なその映像は、今でも目に焼き付いている。もう訳が分からなかった。Twitterで同じようにテレビを観て、呆然としている人たちもたくさんいた。今考えると、家に一人ながらも、ネットにその瞬間の体験を共有している誰かがいるという事実は、自分にある種の安心をもたらしていたのかもしれない。

 

 震災発生から2、3日ほどは、家に居てずっとネットに張り付き、情報の収集と共有、拡散をひたすら続けていた。被災地には行けずとも、誰もが何か力になろうと必死になっている空気が、Twitter上に溢れていた。

 しばらくすると、前代未聞の災害に直面し、常にピリピリしていた空気を和ませようとする動きが、主に有識者やアルファツイッタラーから徐々に現れてきた。彼らに対して「不謹慎だ」と指摘する声もたくさんあったが、次第に多くの人が「いつも通り」を意識した発言を行うようになっていた。

 自分のツイートを遡ってみても、震災発生の週明け、14日以降は、情報のRTを織り交ぜつつも、普段通りのツイートをしているようだった。他の人も同様に、時にネタを織り交ぜた呟きで笑いを取ろうとさえしていた。やはり、そうでもしないとみんな不安でたまらなかったんだと思う。

 その後も震災関連の情報は追いかけ続けていたが、2ヶ月も経つと、ほとんど普段通りの生活に戻っていた。計画停電や節電のために街は暗かったが、心持ちはいつもと変わらないくらいに。時間の経過と共に、非日常から日常へと戻っていった。

 

 物事は風化していくと言うが、東日本大震災を経験した人は皆、何らかの心境や価値観の変化があったはずだ。そしてその変化は、2年経った現在の自分を形作っている。

 当時を思い返して、その出来事と経験を「忘れない」ことはもちろん大切だ。しかし、記憶は、どうしても徐々に薄れていってしまう。

 大きな出来事を「経験」として記憶に留めるためには、それによって自分に起こった「変化」を知り、理解する必要があると思う。震災という出来事を経験したことで、自分は何を考え、感じ、どう行動したか。その考えや行動は、今の自分に何をもたらしたのか。

 

 僕は震災を経験することで、インターネットの可能性を実感することができた。

 ずっとTwitterに張り付き、多くの人が被災地のために何らかの活動をし、繋がり、広がっていく様を目の当たりにして、ただただ「すげえ」と思った。見ず知らずの人たちが、見ず知らずの人のために、繋がり、助け合い、動いていく。そんなことを可能にするインターネットというものに、強く惹かれた。

 

 同時に、「安定」という言葉の不確かさを理解した。

 たくさんの人が感じたと思う。脆く崩れた原発の安全神話。混乱するインフラ。企業の倒産。「絶対に安全だ」とか「常に安定している」とか、そんな言葉はまやかしでしかない。いざというときに頼れるのは自分と、身近な人達だけ。このことを理解したことで、自分の就職観・仕事観は間違いなく変わった。

 

 そんな自分自身の内部の「変化」を理解すれば、その原因である震災という出来事も忘れることはないはずだ。そのことを踏まえた上で、考えなければならない。今もなお問題を抱えている被災地のために、日本社会のために、そして自分のために何ができるのか。

 過去を振り返り、今を確認したら、次は前を見なければならない。何をすべきか、何をしたいのか、何ができるのか、考え続けなければならない。そうすることで、きっと見えてくるものもあると思う。