きっと『何者』にもなれない、ぼくらのものがたり


 

 明日は祝日出勤。だけど仕事なんかしてる場合じゃねえ。
 たった今、読み終えた、朝井リョウさんの『何者』。

 

 昨年度に就活を経験していたこともあり、「HAHAHA!こんなヤツいたわー!ウケるわ―www」などとニヤけながら読み進めていたところ、最後の最後に打ちのめされました。強く突き飛ばされ地面に倒れこんで、一瞬息ができなくなったような感じ。うげえ。

 

目に見えない大きな流れに直面して

 就活の中で実際に僕も仲間と話していたことだけれど、合同説明会、エントリーシート、筆記試験、面接というあの一連の作業に立ち向かっていると、「何かよく分からない大きな流れ」に流されてしまっている印象を強く受ける。

 就活サイトがオープンすれば、多くの学生が我先にと企業を登録し、説明会の予約枠を奪い合う。説明会の質問コーナーでは、「○○大学の◇◇と申します!」の枕詞に始まり、就活本に書いてあるような質問をテンプレートとして問いかける。

 

 「それが当たり前だから」と疑問を持たない人もいる一方で、「こんな作業に意味があるの?」と反抗して自分探しを始める人もいる。もちろん、疑問を抱いた上で就活に臨む人も。

 そんな就活生の思考や内面が、ひっじょーに現実的に描かれている作品、ってのが読み始めて最初の印象。そう、「これがアタシたちのリアル(笑)」

 

140字の向こう側

 物語はそんな「就活」を中心として進む。そしてその中で重要な役割を果たしているのが、Twitter。

 Twitterの呟きに関しては、最初から最後まで一貫して「想像力」という言葉で語られている。これ、ほんっとに重要で、多分20歳前後のユーザーは身に沁みているんじゃないかしら。

 

 俺たちは、人知れず決意していくようになる。なんでもないようなことを気軽に発信できるようになったからこそ、ほんとうにたいせつなことは、その中にどんどん埋もれて、隠れていく。

 

 Twitterを始めとするSNSでリアルの友達と話すとき、うまく話が噛み合わなかったり、意思疎通に失敗したって経験がある人は多いと思う。

 どうしてそんなことが起こるかというと、勝手に自分の中で決めつけてしまっているから。お、あいつがあんなこと書いてる、じゃあそれはきっとこういうことだな、とか。

 ネットという見えない先にいる相手のことなのに、その相手を知っているから、そこにある文字だけでその意図や思いを自分で判断してしまう。それは「想像」じゃない。「妄想」だ。

 

「ほんの少しの言葉の向こうにいる人間そのものを、想像してあげろよ、もっと」

 

 仰る通りです、先輩。

 

「何か」を夢見る観察者

 序盤から、「こんな人いるよねーwwぷぷぷーwww」なノリで読み進めて、いつの間にやら主人公に感情移入し過ぎちゃってたせいか、最後の最後で壮大な腹パンを喰らった気持ち。ぐはあ。

 「就活」、言い換えれば「社会」という大きな流れに相対したとき。その流れに乗って立ち向かう人がいる。避けて別の道を探す人がいる。そして、どちらにもつけずに停滞する人がいる。それが、「観察者」。

 

 きっと、共感する人は多いと思う。自分の夢が見つからない。何が正しいのかも分からない。何に対しても批判の嵐。だから、周りを見ながら、いつか自分が夢見た「何か」になれる日を待っている。

 自分でも無駄だって分かってるんだよね。そうしてたって何にもならないし、なれないって。それでも、そうしないと自分を保っていられなくて、ちっぽけなプライドを守りたくって。だから、いつかの何かに縋るしかないんですよ。みっともないけど。

 

 自分自身、就職した今でもそんな「何か」に縋り続けて生きている実感がある。具体的な行動も起こせずに。

 社会のせいだー、大人のせいだー、などと批判することもできるけど、それ以前に理解しなくちゃいけないんだと思う。僕は僕でしかないし、変わることなんてできっこない。だからこそ、この本には打ちのめされたし、すごく納得もいった。

 

 これは、きっと『何者』にもなれない、ぼくらのものがたり。

 

 

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