新しい「言葉」と出会うのは、何歳になっても楽しい。
四半世紀も生きればそれなりに知識量も増え、知らない単語・表現と出会う機会も減るんじゃないか……と思っていたけれど、まったくもってそんなことはなかった。そういった懸念が浮かぶこと自体、自分がまだまだ言葉を知らない証拠と言えるかもしれない。
本を読むとき、ニュース番組を見るとき、喫茶店で周囲の人の話が耳に入るとき。自分の周囲だけでも世の中は多種多彩な言葉であふれているし、新たな表現だって日々生まれている。
専門分野の用語はちんぷんかんぷんだし、中高生のスラングもわからないし、ことわざや故事成語はいまだに勉強不足を感じる今日このごろ。知らない言葉を見聞きするたびに自分が無知であることを自覚させられつつも、新しい言葉との出会いは刺激的で楽しい。
特に、インターネットの世界は、マジでパない(語彙貧)。
遡ればテキストサイトの時代から、「なんだこのおもしろ文章は!?」と驚き、笑わされてしまう読み物がネット上には多く存在していたし、今もブログやTwitter、あるいは小説投稿サイトなどを舞台に、「言葉」を駆使して注目を集めている人はたくさんいる。
やたらとレトリックが秀逸で、独特の言いまわしが記憶に残るブログとか。なんでもかんでもネタにしてしまう掲示板でのやり取りとか、Twitterで見かける大喜利とか。些細なギャグや誤変換ネタから、時に笑えて時にしんみりくることもあるショートショートまで。
インターネットの世界は、多種多彩な文章と言葉で満ち満ちている。
で、そのような文章をずーっとROM専として読んでいた自分は、いつも決まって、こうも感じていたのです。「僕にも、語彙力があったらなあ……」と。
いや、語彙力さえあればおもしろ文章が書けるようになるかといえば、決してそういうものではないのでしょうが。それでも、自分には書けない文章、思い浮かばない表現を次々と生み出している人たちは、きっとたくさんの言葉を知っているのではなかろうか……と。
ところで、そもそも「語彙力」とは何だろう? 改めて考えてみると、ニュアンスはなんとなく理解している(つもりではある)ものの、他人にうまく説明できる自信はない。真っ先に思い浮かぶのは、英語の「ボキャブラリー」的なイメージだろうか。
その人が知っている単語・表現の多様性や幅広さを指すものであり、語彙力は「どれだけ言葉を知っているか」の総量。日常的に本を読んでいる人、多方面に知識がある人ほど語彙力は高く、それは主に「本を読む」ことによって鍛えられそうだ。
しかし同時に、「たくさんの言葉を知っている」=「語彙力がある」とは限らないようにも思う。もちろん、多くの単語を知っている人が博識ではあることは間違いない。けれど、言葉を「知っている」ことと「正しく使える」ことは別問題なのではないかと。
そのような「語彙力」について基礎から紐解いているのが、今回読んだこちらの本『語彙力を鍛える~量と質を高めるトレーニング~』です。
「知っておくべき単語や表現」を単に羅列したものではなく、前提となる「語彙」の説明に始まり、それを増やすための方法を複数の視点から紹介した1冊。
付け焼き刃の単語帳ではなく、普段の生活のなかで語彙力を鍛えるための考え方を示してくれる、実践的なハウツー本。本記事では、その内容をざっくりと紹介します。
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